2012年06月24日

12人の見知らぬ人々と夕食を共にする企画

トロント大学の卒業生事務局が企画をしている、Dinner with 12 Strangers は、卒業し、社会で安定した地位を築いたトロント大学卒業生が、12人の会ったこともない学生を夕食に招き、団らんするというプログラム。夕食を共にしながら、卒業生が社会経験を学生に伝えたり、学生同士が学部や学年を超えて交わったりする 時間と空間、ネットワーク拡大の促進を目指しているプログラムである。

6月9日、Cindy Ross Pedersenさんは、70名の学生を彼女の自宅に招き、バーベキューを提供。コンピューター・サイエンスと商学部を出ているシンディーさんは、彼女の起業家として活動と経験を学生に伝えるボランティア活動も行なっている パワフルな女性である。これまで大規模なクリスマス・パーティーなども、このプログラムのために開いている。

私は UTDinner Clubの部長でもあるので、料理準備の手伝いに呼ばれ出席。当初、下記のアルバム雑誌を作成する予定ではなかったが、イベント終了後、この企画は形にきちんと残した方が良い、と考え、自主制作。シンディーさんの協力も得ることができ、最終的には数少ない写真でも ある程度まとまったものとなる。


次回、こういう雑誌を作る機会がありそうな場合は、しっかり写真を撮っておこうと思う。特に主役の写真は。料理、撮影、食事、会話、接客、後片付けの全てを一気にするのは難しいが、素材(写真)がないと、雑誌を作るのにも時間が一層かかる。

雑誌作成は、パズルのようで楽しい。
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2012年06月14日

料理クラブのレシピを雑誌にする企画

UTDinner Club という料理クラブの部長として、トロントの多文化という特性を活かしたイベントをこれまで行なってきました。2010年秋に正式にトロント大学からクラブとして公認を受け、現在は360名のメンバーが在籍しています。これまで50の料理教室を開き、25ヶ国からの料理を参加メンバーと一緒に試しました。

様々な国から来た留学生、外国人学生(international students)、1世、2世、3世の学生らを招待し、彼らの国のレシピを試し、料理を通じて文化交流をし続け、この内容はUTDinner Club のウェブサイトで公開し続けています。

今回、念願のオンライン雑誌発行に至ることができ、ここでその一つを紹介したいと思います。



イベント中での写真撮影が難しいためと、古いデジカメ使用のため、雑誌の出来は今一つですが、数冊は時間を見つけて作成したい、と思っています。
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2011年10月01日

Nokia N8 携帯で撮影した短編から

優勝作品:Splitscreen: A Love Story

Director: JW Griffiths
Producer: Kurban Kassam
Director of Photography: Christopher Moon
Editor: Marianne Kuopanportti
Sound Design: Mauricio d'Orey
Music composed by: Lennert Busch


メイキング篇では、携帯での撮影時での手ぶれを防ぐ方法を紹介している。
iMOVIE 09 があると、Split Screen を自分で作成できるらしい。私のはiMOVIE 08...


ノミネート作品から
The Adventures of a Cardboard Box

似たような経験を持つ。
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2011年07月17日

海のメタフォー

疑問が解決した時の嬉しさは、水平線を見ながら、とめどない ゆらゆらした波の揺れの中で立っている時に感じる、満たされた感覚に似ているように思う。岩に打ち寄せられた水しぶきのように、爽快な気持ちになることや、心臓が羽根のように震える(血が騒ぐのか、知が騒ぐのか)感覚を覚えることも。これが、難しい課題に取り組むための 次の原動力となる。

他方、果てしない、知識の海は広すぎて終わりがない。論証のために、数十冊の本と格闘し、分析、編成、議論を組み立てているときは、難破した気分になることも。自分の知識では到底叶わない授業をとると、撃沈した気分にも。睡眠時間が減ると疲労が溜まり、難破船が沈むように、ベットに倒れていることも。

次々と押寄せるゆらゆらした波の感覚は、時に幸せを、時にチャレンジ感を私に運ぶ。溺れないように気をつけながら、この心地よさを味わうことがやめられない。
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2011年07月14日

塩野七生 著:日本人へ リーダー篇のブック・レビューへの所見

読売新聞「本よみうり堂」に記載されていた、 東京大学史料編纂所、本郷和人准教授によるブック・レビュー、論客の叱咤が迫る「覚悟」: 日本人へ リーダー篇/国家と歴史篇 塩野七生著読売新聞:新刊批評:2010年8月1日)への所見:


この書評は、塩野が、古代ローマのリーダー、カエサルやアウグストゥスによった巧みな政略の例を引き、「計画的な駆け引きのできない(現代の)日本人」による外交・軍事の低迷を指摘する書である、と始まる。日本中世史専門の本郷氏は、物事を有利に展開させるための策略や駆け引きに日本人が弱いのは、「日本の前近代史のどこを探しても、政略を巧みにあやつった名手は、残念ながら見いだせない」ためであると補足をし、グローバリゼーションが進んだ今、「政略」とは何を意味するのか塩野の著作から学ぶことは多い、と書評を締めくくる。

序論と結論では塩野氏の著作を称賛する一方、この書評の主要部で 本郷氏は塩野の歴史的人物の客観性を指摘する。この書は古代ローマ時代の英雄の「時を超えた提言」ではなく、塩野の直言であり、その英雄らが実際に、塩野の「造形した人物」と一致するかは別問題である、と。同時代の政治家の本心がどこにあるかを見きわめるかが難しいように、時代が離れていては直接インタヴューする機会もなく、 この本郷氏の意見に異論はない。しかしながら、本郷氏によるこの指摘の説明にいくつかに疑問を感じるため、ここに私の見解と補足説明を二点、下記に記す。

1)時を超えて有効な Ars rhetorica と、政略の関連性を理解すること

『日本人へ』に登場する古代ローマ人は、塩野の「造形した人物」である、という指摘を説明するために本郷氏が用いた、下記のブドウ酒の例えは、この記事の読者には誤解を与えかねない。本郷氏曰く:

私たちはずっと昔からブドウ酒を飲んできたけれども、古代ローマのやり方でそれを作りつづけてはいない(「歴史ことはじめ」より)。ブドウ酒の製法が変化するのと同じく、人間の考え方や理念、それに感情すらも、時間とともに推移する。昔の人の行動を、今の私たちの理性・感性で捕捉すること はきわめて困難である。だから読者をひきつけてやまない塩野作品中の英雄たちは、あくまでも彼女が造形した人物なのであって、歴史の実像に近いかどうか は、またちがう話にならざるを得ない。

現代の技術で作られたブドウ酒と、古代ローマのやり方のブドウ酒製法の比較では、現代ブドウ酒の方が、洗練された製法である、定期的に購入して飲みたい、と考える人の方が多いであろう。科学工業技術の発展とそれによって快適となった生活に慣れている我々にとって、現代の方が「進んでいる」と考えがちなのは、私も含めて避けられない落とし穴である。

『日本人へ リーダー篇/国家と歴史篇 』が、今必要とされている書であるなら、現代と古代の理念や理性の差を指摘するより、なぜ、どうやって、塩野が古代ローマの「政略」が長けていたかを悟ったかを理解する必要がある。

カエサル、そして彼の同時代のキケロなどの書簡が現存しているが、弁論技術が使用された文章構成そのものが、政略とは何かを伝えるのである。科学技術の発展のために、古い物が流行遅れと扱われがちである現代であるが、現代でも未だ超えることのできない文章構成の基礎を伝えるのが雄弁家キケロやギリシア哲学者アリストテレスの書である。

「雄弁家に必要なのが弁論術/修辞学」と書くと、漢字から受ける印象と、言葉の響きから、弁論大会などを思い浮かべて、それに出る人の技術と思い浮かべては、日常使用とかけ離れる。古代ローマの修辞学者クインティリアヌスは、Ars rhetorica(訳:弁論術・修辞学)を「きちんと話す術」とし、「話す必要のある内容にあった正しい表現方法の術」と説明する。クインティリアヌスの著作『Institutio Oratoria(訳:弁論家の教育)』は、きちんと話す術の教育方と、きちんと公で演説ができる人になるためのマニュアル的な本であるが、読むとこの技術習得には並々ならぬ訓練が必要なことを実感させられる。歴史や詩の習得、身振りと身だしなみの詳細なども盛り込まれている。弁論術が政治に有効であった点は歴史が語るところであるが、政治家に限らずとも学ぶべき点は多い。

巧みな言葉の使用(Ars rhetorica)は、 国と国の外交だけではなく、 恋愛の詩や紀行にも使われ、Ars rhetorica が用いられた古典文学の内容の濃さは、今でも西洋教育の基礎として使われ、文学・言語専門家も師として仰ぎ分析に勤しむ。キケロやクインティリアヌス、ウェルギリウスやオウィディウスの作品の一文一文から、あるいは、一ページ一ページから発せられるパワーは、読み手を感嘆し、想像力を刺激し、心臓が震える感動と与え、言語の豊富さ、観察力の豊さ、説得力の力強さに読者は圧倒されるのである。言葉一つ一つの選択の完璧さが、文章を波のようにうねらせ、その波動が読者に伝わるのである。言い換えるなら、言葉一つ異なるだけで、そのうねりの速度が鈍るのである。アメリカ合衆国のオバマ氏が大統領として就任したのも、Ars rhetorica が用いられた文に説得力があったから、というのはカナダでも有名である。Ars rhetorica は、時代を超えて有効なのである。オバマ氏の演説が、知識人、中産階級、労働者階級全てを説得できたのは、 Ars rhetorica を用いたからである。ブドウ酒製法では、これは説明できない。ブドウ酒が今も昔も飲まれているように、Ars rhetoricaで構成された文が人を酔わせる、と私は思う。

塩野は、この Ars rhetorica の使用されたカエサルやキケロの文を読み、言葉の構成を説明するのではなく、その演説により、政治や政策がどう変化した点に注目する。塩野の方法は、 ラテン語の演説文を全文訳し、コメントするのではない。Ars rhetorica に適する日本語がないように、そもそも、その原文が持つエネルギーをそのまま残したまま訳すのは困難である。そうではなく、塩野の方法は、その生き生きとした原文から彼女が感じたものを抽出し、彼女の言葉(日本語)で、日本の読者の脳に、カエサルやオウィディウスのいたローマを生々と映し出しながら、彼らの統治力、判断力、洞察力を伝えるのである。

ルネサンス時代のヒューマニスト達が、キケロに惚れ込み、Ars rhetorica を身につけたのは、キケロの優雅で、コシとウネリのあるラテン語に圧倒され、キリスト教の政治や文学にもその言語の持つパワーは活用できると熱狂したからである。フィレンツェのヒューマニスト達は、その言葉の美しさと賢明さがもたらす徳を活かすことで、個人(キリスト教徒)としても、社会にも貢献できると考え、積極的に古代の文献の習得し、自分の考えとともに解釈書、物語、評論文、外交文、詩と、ありとあらゆるジャンルに活かしたのである。さらに、教育改革も行い、必須科目に Ars rhetorica を取り入れる。14世紀の終わりにミラノを支配していたヴィスコンティは、敵対国フィレンツェのヒューマニスト、サルタティの外交書簡一枚が、千人のフィレンツェの騎手より価値がある、と述べている。一枚の書簡が、知に溢れ、敵の攻撃を抑える力があったのである。

英語が国際語になった主な理由の一つに、Ars rhetorica の法則を英語に見出し、習得し、教育に取り入れ、次の世代にも引き継いでいるから、と私は考える。大学の科目に Rhetoric があり、政治家、ジャーナリスト、作家を目指す生徒でなくても勉強できるようになっている。 Ars rhetorica を使うにあたり、言葉や文、内容の構成を行なう前に、誰が聴衆/読者であるか、という対象の選択が不可欠である。この訓練は多目的に有効な技術なのである。グローバリゼーションが進んだ今、もし日本人が外交能力を高めたいのであれば、時代を超えて有効性を保つ Ars rhetorica を習得する必要性があると思う。実際、日本の政治家と国民のコミュニュケーションが良いようには思えない。日本の政治家が、Ars rhetorica を習得するだけではなく、教育の一環に採用するなら、日本語の素晴らしさを認識する機会にも、国(知)力が上がる機会にもなる。


2) 歴史家と作家の役目の差

本郷准教授は、歴史学者の苦労、努力、解釈について下記のように述べ、作家は歴史学者と異なり、想像力を駆使できる、と説明するが、その比較と説明は、塩野を正当に評価していないように思う。本郷氏によると:

そもそも歴史の叙述は、歴史資料に誠実にむきあい、それを徹底して読みこむことによってなされる。だが遺物である歴史資料は数が乏しいから、ここで道が分岐する。良心的な研究者は、使用できる資料を少しでも増やす作業に没頭する。作家は豊かな想像力を 駆使して、資料の欠をうめていく。後者の代表が塩野であることはいうまでもない。だから、どちらがおもしろい成果を残せるかとなれば、並の歴史研究者が束になっても彼女にはかなわない。その存在感は圧倒的である。

歴史学者は、弁護士のように、現存する資料で他者を説得する必要性があり、思いついたことを安易に述べることは許されず、自らの推論を証明するための資料や自分の疑問を解決するための資料を探さざるを得ない。ただし、資料があったとしても、他の疑問が出てくるのは避けられず、推論はあくまで推論であり、個人の解釈が他の研究者に受け入れられるとは限らない。日本語の15世紀の資料の内容を、現代の日本語に「訳す」なら、訳者の解釈によって訳の内容は変化する。想像力で「資料の欠」を埋め、それが実際にあったこととするなら、捏造行為で、ルール違反であり、その者を歴史学者とは呼ばない。使用できる資料を増やすのが、歴史学者の役目であるゆえ、その者を「良心的な研究者」とは呼ばない。

専門範囲に興味がある読者に限定される、歴史学者による著作と異なり、作家は、より広範囲の読者を相手にする。そのオーディエンスによって内容のトーンも変化する。歴史学者の専門書より、作家による本(特に塩野の作品の場合)は、広範囲の読者に興味を与え、好奇心をそそり、自学への門を開く効能を持つ。塩野の『ローマ人の物語』の参考文献一覧表は、並みの歴史家に匹敵する量である。英語の歴史学者による注釈よりは、塩野の注釈が少ないが、『物語』である以上特に問題はないように思う。資料や文献からの引用、あるいは、他人のアイデアの引用にも関わらず、塩野以外の日本の著作内での注釈の少なさの方が問題である。

確かに、塩野の作品では、個々の英雄が塩野流で作られているのは事実で、 彼女の豊かな想像力と文才は読み手を興奮させるが、塩野が読んだ資料や見た遺跡が、彼女に語ることも多いのではないだろうか。Ars rhetorica の使用された文章は、聞き手や読み手にイメージを抱かせるパワーを持つ。特に、カエサルやキケロの文章を読んだことがあれば、ローマで遺跡を見ると、まるで、彼らが目の前に現れ、話をしているかのように感じるであろう。カエサルやキケロの文章を読んだことがなくとも、塩野の 『ローマ人の物語』を読んだ者にとって、その遺跡は、遺跡ではなくなるほど、生き生きとして見える。建物も未だ生きているのである。歴史を知ることは、遺跡に息を吹き込むと感じるのは私一人ではない。

塩野の文体は、聞き手を気遣いつつ、堂々とした話し家のように説得力がある。彼女のような存在が、なぜ、政治家として日本で存在しないのか、疑問である。本郷氏のように「日本の前近代史のどこを捜しても、政略を巧みにあやつった名手は、残念ながら見いだせない。。。。利害を度外視して正義を行うところに日本人の美学があった。。」それゆえ、利害を度外視する「政略」という国際政治に対応するのには、これまでのやり方では無理で、「その無理を成し遂げなければな(い)」、という意見には賛同できない。本当に、前近代史に説得力のある文を構成でき、世界と交渉できる日本人は存在しなかったのか?それとも、塩野のような存在を、政治家として持てない環境に、実は問題があるのではないだろうか。
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2011年04月26日

グラフィック作品のハイライト

ISSUU.comは、PDFファイルを作成してアップロードすると、こんなふうに雑誌のようにしてくれる便利なサイトです。私がこの2年間半の間、勉強の合間に作ったり、加工した画像の主要な物の数点のみをまとめて、オンライン・ポートフォリオを作成してみました。薄い冊子ですが、Adobe Creative Suite(アドビ クリエイティブスイート)での私のレベルを示唆するものかな、と思います。


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2011年04月14日

A Nia Class Event for Japan Earthquake/Tsunami Relief

Andreea Diaconescu, a black-belt holder of Nia dance (a fusion of martial arts, aerobics, and yoga), is holding A Nia Class Event for Japan Earthquake/Tsunami Relief on April 17 with the cooperation of the Hart House. The event is by donation and all the proceeds will go to the Canadian Red Cross to benefit tsunami and earthquake relief in Japan.

Non-U of T students and staffs of all ages are welcome. Please contact with Andreea in advance.

For more information, please go to the Hart House webpage for the event:
http://www.harthouse.ca/recreation/nia-for-japan

nia-japan-andreea.jpg
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2011年02月26日

斬新な舞台 ー Dave St-Pierre

ご無沙汰しています。年末年始と課題、課題の大波をサーファーのように こなしていました。人生で、これほど勉強しているのは初めてです(笑)。また来週からサーファーです。波に呑まれないようにしなければ!

ところで、トロント大学のヴィジュアル・スタディの3年生向けのコース、ザ・ボディーで、学生が授業の一環として見に行った劇が非常に良かったということで、私も勉強の修羅場の合間をぬって見に行ってきました。

題:Un peu de tendresse bordel de merde!
  (A Little Tenderness for Crying Out Loud!)


私達が持つ、本能の醜さと美しさの両方を表現する、注目の振付師 Dave St-Pierre による、この作品は、かなり多くのシーンが、ヌードで構成されています。 愛と人間のフォームを探し求める作品、Un peu de tendresse bordel de merde!(A Little Tenderness for Crying Out Loud!) では、ユーモアとともにタブーなテーマに取り組みながら、20ダンサーが、 (*)見た目での裸と、内面を赤裸裸に映し出す両方の意味の「裸」を全身で表現する作品です。ダンサーが表現する、奥底に潜む 緊急状態にある怒哀や切なさの感情を、 語り手が、時に客観的に、時に挑発的に観客をリードします。舞台の感情が観客に効果的に伝わり、共感できるように構成されています。

タイトルの Un peu de tendresse bordel de merde! は、「少しのもろさ」と「大声で泣き叫ぶ」の逆のコンセプトを組合せていますが、見た感想から解釈すると、様々な人生経験は、時に、人を強くするより、弱くする部分もある、と考えさせられます。内在するもろさは、時にちょっとしたことで吹き出します。悲しみの大波で、もろい部分を塞ごうとしても、吹き出してしまい、感情の大波への統制能力を欠いてしまう、そんな人間の弱い部分が描かれているように思いました。とは言え、美しいシーンが癒しの効果も担っているようにも思えました。

(主に恋愛の沈みの時期や、大切な人を失った時での)切なさ・辛さの感情を押し殺しがちの日本人にとっては、ダンサーの裸で踊り演じる(*)様子は、自分の経験と照らし合わせるのは難しいかもしれません。とは言うものの、自分の心臓が、どうしようもなく震えている様が映し出されている、と感じるかもしれません。

最も興味深かったのは、一人の女性が恋愛による葛藤を演じている時の照明効果でした。長方形状の小さな照明のみが、舞台を照らしている中、その女性の銀色のハイヒールの爪先だけが、その照明内に入っていました。彼女が悲しみを全身で表現する間、その、銀色の爪先がキラキラを輝き、まるで、彼女の頬から涙がほろほろとこぼれ落ちているように見え、悲しいシーンなのだけれど、美しく見えるのです。その照明は、月夜の湖面のようでもありました。

コンテンポラリー・ダンスと言えども、歴史的な文化や美術が反映されている作品で知性を刺激します。例えば、ヒエロニムス・ボッシュの三連祭壇画、「快楽の園」を21世紀版として取り入れているように思わせる部分もあり、アートに関心のある人はいろんなアーティスティックな層が重なっていることを見ることができ、非常にお薦めの作品です。

観客は、男女とも20代から40代が大半で、知的にも外見的にも豊かな人が多そうでした。観客の一人は、舞台の初めで、あまりにも挑発的なスタートのため、退席したようにも思えましたが、舞台終了後の大喝采は、今までにないほどの大きさでした。見に行ったトロント大学の学生の中には、感動のあまり大泣きをした人もいたそうです。

Youtubeでのクリップでは、肝心な興味深いシーンや照明の効果が映し出されていず、美しさが伝わりにくいいので非常に残念ですが、一部を見ることは可能です。



●振付家、Dave St-Pierre について●

1974年生まれ、カナダ、ケベック州出身で受賞歴のあるカナダの振付師、Dave St-Pierre は、5年以上コンテンポラリー・ダンスシーンに影響を与え続けています。 Dave St-Pierreは、ラスベガスで大成功を収めている シルク・ドゥ・ソレイユ(カナダで立ち上がったサーカス/エンターテイメント/ダンス・グループ)のためにも振付けを提供したことがあります。 彼は、前衛作家として、ドイツ人ダンサー&振付家のPina Bausch (ピナ・バウシュ:1940−2009)の 残酷さを描いた舞台に比較されることもあります。

Dave St-Pierre は、現代的なユートピアを模索する作品の三部作の2番目の作品、 Un peu de tendresse bordel de merde!(A Little Tenderness for Crying Out Loud!)とともに、サドラーズウェルズ劇場で待望のデビューを果たしました。

参考:
London Theatre Direct. com
Cirque du Soleil.com
posted by mandelin-coffee at 02:37| Art I saw in Canada | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年02月13日

ヴォイニッチ手稿

未解読のため、世界で最もミステリアスなマニュスクリプト、ヴォイニッチ手稿。
素材の動物の皮から、制作年が1404年から1438年であろう、というのが最近のニュース。
National Geographic Channel のビデオから。



言語が不明でも、描かれている絵の一部が温泉の光景のようで、笑みをそそる。

posted by mandelin-coffee at 11:36| Films & Others | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年02月09日

ブリューゲルとボッシュの絵画がロック・バンドに使われると。。

ブリティッシュ・バンド Zoot Woman のビデオが面白いので。。



実際、音楽なしで見るのもお薦め。。
posted by mandelin-coffee at 14:28| Films & Others | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年11月06日

ロモグラフィー

ロモグラフィー・ショップが、トロントでオープン。
そのオープニング・パーティーに、ロモグラフィー・ファンのジュリエット(フランス人留学生:法学部)と出かける。

下記の写真は、(私が)ショーケースの上の展示様子を写し、帰宅後フォトショップで加工。プリント・アウトしていないのだけど、しているように見せかけている。


ロモグラフィーって?!と思った方はこちらを ーー>
● ロモグラフィーの歴史(スクロールすると、日本語の記事がある。日本のカメラがロシアで。。。という記事を是非。)
● ロモグラフィーのゴールデン・ルール


店内の様子をパシャリ。





下記の写真も、(私が)天井を撮影し、帰宅後、フォトショップで、さも印刷したかのように見せている。この手法、気に入っているので頻繁に使用。


ショップの展示、写真を鱗のように壁に貼付けてあるのを見て、鯉のぼりのようだな、と。
帰宅途中に立ち寄った、中国人経営のマーケットで魚を写し、フォトショップで、ロモグラフィー風に加工してみる。ロモ・ファンには邪道な技術かもしれないんだけど。。。

posted by mandelin-coffee at 01:36| Toronto | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年10月22日

北京ダック

トロント大学ディナー・クラブで、アヒルの下ごしらえをした画像を紹介。



上記の画像で、アヒルの処理をしているのは部長。大学公認のクラブ活動を一緒に立ち上げ、160名のメンバーを持つ。現在、様々な国出身、学部所属の学生と交流中。
私が副部長に選任された理由の一つは、調理師免許を持っている点。人生、いろんな経験が、思いもよらぬ形で役に立つ。(^-^) デザインや写真撮影&掲載も担当している。(ホームページへは、上記画像クリック。)
posted by mandelin-coffee at 21:29| Comment(0) | TrackBack(0) | カナダ Toronto 大学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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