2008年12月19日

肖像画と建築 (一部)

イアサント・リゴーによって、1701年に描かれた作品。[ルーブル美術館所蔵

ルイ14世 (1638ー1715:在位1643〜1715)
LouisXIV-1701.jpg

ルイ14世が63歳時の肖像画だが、脚だけ見ると若若しく見え、初めて下記の「脚」を見た時は、思わず「は!」と。

大学すぐ側にある、靴の博物館。

Bata Shoe Museum.jpg


それで、ふと、思い出したのが、イングランド国王、チャールズ2世の肖像画。1670年に、ピーター レリー卿が作成。

チャールズ2世(1630ー1685:在位1660〜1685)
Charles II-c1670.jpg
© National Maritime Museum, London


当時、権力を強調するために使われた、典型的な装飾のパーツの使い方の違いも興味深い。後ろにある大柱の意味(建築が、どう扱われたか)や、立ち方の違い(似ているようで大きく違う点)、剣を持つか持たないかなど、肖像画はいろいろ語る。

Monument-GFL.jpg
1666年にロンドンでも商業の中心地が大火に見舞われ、中世の木造の家々が灰となり、セイント・ポール大聖堂も再建が必要な程被害を受ける。「この大火は、カトリック教徒の仕業である。」というプロテスタントの市民による噂が絶えず、それは以後も続く。
チャールズ2世は、ロンドンを、中世の雰囲気ではなく、他の有力都市と同じ威厳のある都市づくりを希望するが、財政面の貧窮さや、商業地ゆえ、緊急に再興を要し、道路整備からの変更は叶わない。
何か記念碑を建てようと、当時、世界で最も高さのある大柱の建設計画が出たのが、1670年頃。市議会で、デザインの賛同が得られたのは、1671年。
ロンドン橋が移動され、この記念碑の目印としての効果もなくなり、現在では、スカイスクレーパーによる建造物に埋もれ、観光客もあまり訪れないようである。が、当時、ローマ人より高い大柱を建てる技術があることを対外的に示したのがこの大柱。政治的な目的があったことなどを、大火後の他の建築物ともども考えると、17世紀の建築史は面白い。

他方、パリやヴェルサイユでは、ルイ14世が、絶対王政の元、イングランドよりはるかに進んだ建築技術を用いながら、ルーブルやヴェルサイユ宮殿を建造。1665年に、ルイ14世は、建築家としても有名なベルニーニをフランスに招待し(教皇アレクサンダー7世ですら、ルイ14世の依頼を断れなかった)、ルーブルの建築デザインを依頼する。ベルニーニのデザインは、フランスに合わないと結局却下されるが、ベルニーニによるルイ14世のマーブル像は、今でもルイ14世の威厳を醸す。
ベルニーニは、パリの石工の技術は劣る、とし、ローマから石工を連れて出向くが、これがフランスのプライドを逆なでする。ローマを凌ぐ技術を見せつけ、フランスらしいデザインを表現。特に、水不足のヴェルサイユに、溢れる水をもたらした水力学の発展など、ヴェルサイユを訪れたことのある人は、その技術発展を実感するであろう。
posted by mandelin-coffee at 09:57| Comment(0) | TrackBack(0) | ART 美術 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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