2008年05月14日

カメラは、感情を媒体する?!

1年半前、北京に滞在中、「完美」という言葉があちらこちらにあり、「完」パーフェクトの基準はどのへんなんだろう、とつい考えてしまったことを時々思い出す。「完美」ではないのに「完美」という言葉に囲まれるのも奇妙だが、本当に「完美」なるものが沢山あったら怖いだろう。

醜さも、美しさも、いろいろあって、混沌としているんだけどだんだん愛着が沸く、というのが今の私とトロントの関係に似ている。雪が溶けたら、タバコの吸い殻が山ほど道路に溢れる。それもトロント。ロンドンのように清掃車が道路をきれいにするんだから、と何でも道路に捨てる人々の感覚にも驚いたが、トロントには清掃車はない。ロンドンよりスモーカーが多い。アジア人のスモーカーも多い。

ロンドンでは美術学校だったから作品を創ったが、トロントでは美術史のため授業で作品を創る機会はない。なら、何か記念に創ろうとアイデアがいくつか浮かんでいる。

作品を創るのに、きれいな部分と汚い部分両方カメラに収めよう計画するのだが、どうも、カメラが嫌がる気がして撮影保存ができない自分の感覚に戸惑っている。始めの大家の台所が汚く立ち退き、払いすぎた分の返却の交渉のため、やむなく、汚い箇所を撮影したのだが、カメラで撮影することは、まるで、私が、その汚い物を触ってギョッとする感覚を納める感覚になる。カメラが犯されている感覚。

戦争や残虐な写真を撮影できるカメラマンをあらためて凄いなぁ。。と。目で見ているより、カメラに納める行為は、自分に焼き付ける感覚になるから。他人が撮影した作品を見る時は反対に、実物を見るより、光景の威力が弱まる気がする。
社会の裏も表も撮ってみたい衝動にかられる反面、ネガティブな光景は、カメラを通して、私の心に染み渡る。

この感覚はなんなんだろう。。


posted by mandelin-coffee at 02:28| Comment(0) | TrackBack(0) | つつ うらうら | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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