2009年09月28日

16世紀、女性詩人 Anna Bijns の作品

ルネサンス期で、結婚は、「くびき」に例えられていた。

Ushi-Kubiki.jpg


エンジェルが、新郎と新婦にくびきを掛けている様子。

Lorenzo Lotto, Marsilio Cassotti and His Bride Faustina, 1523
oil on canvas,  Museo del Prado, Madrid

Marsilio Cassotti-His Bride Faustina1523.jpg
© National Gallery of Art, Washington D.C.


どうも、くびきは、重そうである。

ルネサンスが、中世より、近代的で文化的である、という考えは、実は見方によって大きく異なる。例えば、女性の地位が、格段に落ちたのがルネサンス。多くの女性の名は、男性の影に隠れてしまっている。

原文を読んだ訳ではないが、英訳の言葉の選択が面白い詩を見つける。
アントワープで学校の先生だった、Anna Bijns(1494ー1575?) の作品 “くびきなしが最高!男なしの人生で幸せだもの!”。16世紀半ばに発表されたにも関わらず、現代でも、ある意味、笑える。

  Her marriage ring will shackle her for life.
  If however she stays single
  With purity and spotlessness foremost,
  Then she is lord as well as lady. Fantastic, not?
  Though wedlock I do not decry
  Unyoked is best! Happy the woman without a man.(*)

  手かせ足かせ、彼女の結婚指輪
  シングルとおせば
  純潔、貞潔、何よりも
  君主のように気高い人生。超最高。どう?
  結婚生活を否定しないけど、
  くびきなしって、最高!男なしの人生で幸せだもの。(**)


結婚せずとも、処女を通す女性が現代ではいるのかわからないが、この詩が作られた時代は、ちょうど、エリザベス1世(統治:1558-1603)が、バージン・クイーンとしてイギリスを治めていた時期と重なる点に注意。アントワープは、ローマから離れていた点にも注意。ともあれ、独身貴族を謳歌しているのが、伝わる Anna Bijns の作品。彼女の全体の詩を読むと、女性の声、というより、現代の日本人男性の「声」にもきこえる。

この抜粋の前に、Don’t hurtle yourself into marriage far too soon.(結婚に そんなに焦って突進しないで。)という部分もあり、今でも周りに、“突進する”人いるよなぁ。。と。

この“くびきなしが最高!男なしの人生で幸せだもの!”をもっと読みたい場合、Google Bookで読むことができるので、下記の本をチェック。
(*)Meg Lota Brown and Kari Boyd McBride, Women's Roles in the Renaissance (Westport, Greenwood Press, 2005) 119, 120.

(**)このブログの著者による日本語訳


今、ルネサンス研究プログラムの科目を選択中で、ジェンダーについての講義を受けている。いろんな想像豊かな発想に出会って面白い。笑える。

例えば、ルネサンス(ギリシア・ローマ文化の復興)では、ローマ皇帝、マルクスアウレリウス(121-180)に、医師として仕えた Galen の記述が、以前このブログで書いたヴェサリウスの解剖学書がでるまで、重要書として扱われていた。Galen は、女性は体温が低いので、男性より完璧ではない、と述べている。でも、その体温の低さが、胎児に栄養を与えるのに役立っている、と。女性の体温が高いと、栄養分が即座に分解され、”胎児が、分解されずにいる栄養物をさっと取ったり、残り物に預かったりできないから、女性の体温が低い方がよく、女性が男性より劣っていると考えるよりは、こう考えた方がいい、”とも述べている。胎児が、お腹の中で 素早く栄養物をキャッチしている様子を想像すると愉快。
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2008年07月07日

ミニ「天文学史」− 7

今日は七夕。天の川。
というわけで、ミニ天文学史3〜6を飛ばし7。少しガリレオを先に話そうと思う。

イタリア、トスカニー出身のガリレオ(1564ー1642)はコペルニクスの説を天体望遠鏡を用いて擁護。

ガリレオの出版物の中でも第一冊目、1610年に出版した「星界の報告」(Starry Messanger:私なら敢えて詩的に「星からの使い」と訳すと思う)は、 天体望遠鏡を使っての観察による発見の3つの報告書。

1.天の川は密集した星団であること。(当時、天の川が個々の★の集まりであることは裸眼では確認できなかった。)
星々が地球から、そして、惑星からも計り知れないほど遠い場所にあると明記。ガリレオが証明する以前、地球と惑星、惑星と星々の距離感は特に問題ではなく、無限性への意識がなかった。この観念を崩したのがガリレオの発見。
ーー> 宇宙の外周、透明な球を回している天使達は地球から遠くへ行ってしまった。というより、消え去った。意識の中や、アートで、天使は存在し続けるが。。


2.月が地球のように山谷がありボコボコしていることを明記。
月の山の高さが、地上の山より少なくても4倍以上高いとも述べる。
当時としては大打撃な報告。というのも、アリストテレス説、月は完璧な第5元素で構成されているとずーーーっと信じられてきたから。
ーー> すべすべした滑らかな美しい肌を持つと崇拝していた人が、実はボロボロの肌だったとわかった時のショックより、大打撃。

GalileoMoon.jpg


.木星の近くに4つの星があり、メディチ家にちなんだ名を付ける。
地球の周りを月が回転するように、木星にも月のようなものが4つあることを報告。
ーー> 神が決めた惑星システム内の神聖な数である「7」(太陽、月、水星、金星、火星、木星、土星)を超えるのを許すはずがないとの恐怖。他方、神聖な「4」を強調する勝利の喜び。
アリストテレス説の惑星が完璧な第5元素で構成されている説をぐらつかせる。


Galileo.jpg


顕微鏡の発明なしでは発見できなかった事実、目で見るまでは否定されてきた仮説が、明らかとなった。
実際、誰が天体望遠鏡の発明者かは知られていない。材料(レンズなど)はその前からあったが、発明が遅れたのは技術面ゆえであろう、とのこと。現在の説では、現オランダあたりで1608年に創られたであろう、と。その発明品については、翌年にガリレオの耳には入り、1609年7月までにガリレオは初の天体望遠鏡を手にする。それを年内に改善。裸眼より1000倍大きく、30倍近く観測できる望遠鏡を作成。(上記のガリレオの書の肖像画上、天使が天体望遠鏡を覗いている。)

17世紀の版画、天体望遠鏡のいろんな絵図は、こちらを。(サイトは英語。絵はクリックすると拡大でき、必見。)


アートに影響したことは言うまでもない。
ガリレオが、アーティストでもあった[アーティスト的な感覚を持っていた/アート批評の知識があった]、という論文もある。トーマス・ハリオットの月のスケッチと異なり、ガリレオのスケッチは「光と影」に重きを置いていることや、自説を有力にするために、敢えて上記のような描き方をしている点など様々な要因が、単なる天文学者ではないことを裏付けている。

参考までに、かのミケランジェロが亡くなる3日前にガリレオは生まれ、現在、ガリレオとミケランジェロのお墓はサンタ・クローチェ教会の同じ空間の両サイドで眠っている(とのこと)。ミケランジェロは新プラトン主義(プラトンの天文学説も、星は外球に貼り付いている)であったし、当然ガリレオの説、天体望遠鏡を知らない。


 イギリスで前年に既に天体望遠鏡を使って月を観察したトーマス・ハリオットはそれについて出版しなかったため、ガリレオの書のインパクトが強かった。教授曰く、ガリレオは時間を無駄にしなかった、と。出版と同時に、一晩で著名人になった、とのこと。出版と当時に550部は完売。ドイツ、フランクフルトでも数ヶ月以内に出回っていたことが確認されている。



* 本日、1日アクセス数が過去最高の208を記録しました!
タグ:ガリレオ
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2008年07月05日

カラヴァッジョ(1571-1610)による天体図

ミニ「天文学史」− 5で説明したタイコ・ブラーへの天体の仕組み、「太陽と月が地球の周りを公転し、その太陽の周りを惑星(水星[マーキュリー]、金星[ヴィーナス]、火星[マルス]、木星[ジュピター]、土星[サタン])が公転している」という修正天動説では、木星と土星が、地球を中心とした球に入ることはない



バロック時代のイタリア人画家、カラヴァッジョ(1571-1610)が、この天井画を制作した時、まだ冥王星[プルトン]海王星[ネプチューン]も発見されていず、冥王星、海王星の命名の際に、カラヴァッジョの天井画から影響を受けた、という記録も聞かないが、この天井画のタイトルは『ジュピターネプチューンプルトン』(1599ー1600)

1599-1600-JupiterNeptunePluto-s.jpg
漆喰の壁上の油絵


カラヴァッジョの作品を見ると、地球を中心とした球には、星座が”貼り付いて”いる。この点では、タイコ・ブラーへと異なる考えを持っていたようでもある。
鷲とともに木星[ジュピター]は、「球」に触れているか、触れそうにも見える。実際、タイコ・ブラーへの図でも、木星は「球」に近い。


ラファエロの壁画と比較すると、天体の知識・認識の差が見えて興味深い。(「ラファエロの間」)
Raphael-Stanza.jpg
ラファエロ作: 1508 to 1511



約100年間での天体への意識の差。


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ミニ「天文学史」− 5

コペルニクスの宇宙の仕組みに異を唱えたのが、 タイコ・ブラーヘ(ティコ・ブラーエ)。

数学的にはプトレマイオスのシステムより優れていることを認めつつ、コペルニクスのシステムでは年周視差の説明ができない、ことを指摘。 「太陽と月が地球の周りを公転し、その太陽の周りを惑星(水星、金星、火星、木星、土星)が公転している」という修正天動説を発表。現代の基準で、観測する研究所を持った「初の(西洋人)観測天文学者」。


[この天体↑が動いている様子を重い描くと、頭デカッチの輪がグルンぐるん回っているように見える。] 

タイコ・ブラーヘ(デンマーク[元スェーデン]1546 ― プラハ 1601死去)は、高貴な生まれ。1560年8月21日の日食に感動した後、コペンハーゲン大学在学中より、独自で天文学の勉強を開始。1562年、ライプツィヒ大学に行く時に、アルブレヒト・デューラーの星座図表を持っていったと言われている。(下記、デューラー作の一例。)




ライプツィヒで、観察を基本とした、より専門的に天文学に打ち込み始める。正確な観測には良い道具が大事であると知っていたので、道具にもこだわる。1566年、ドイツ、ヴィッテンベルクやロストックの大学を訪れる。(中略)1569年以後、計測器などの道具のデザインと仕組みを改良。アウグスブルグで、天体の高度を測定する巨大な四分儀を作成。1570年、父親の重病の知らせを受けデンマークに戻る。1572年11月11日、カシオペア座に超新星(スーパー ノヴァ)を見つける。他にも気付いた人々はいたが、この超新星が単なる彗星ではなく、天体に属することを、これまでの観測に基づき立証したのがタイコ・ブラーヘ。

1574年には、ドイツ、カッセル、フランクフルト、その後バーゼル、ヴェニスを旅。バーゼルに移り住むことを決断したものの、 最も優秀な科学者を失いたくなかったデンマーク国王フリードリッヒ国王は、タイコ・ブラーヘに、デンマークでの観測所の設立を持ちかけ、ベーン島(地図↓)を提供する。そこに作られたのが、ウラニボリ天文台とステルネボリ天文台。

Uraniborg-Map.jpg
Image © Google Map


この二つの絵図は、ウラニボリのもので、タイコ・ブラーヘのドローイングとプラン。ヴェニスでタイコ・ブラーヘが見た建築物の影響を受けており、幾何学が活かされている。

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ところで、この「ウラニボリ」の意味は、『天空の城』。どこかで耳にしたことのあるような名前だが。。。

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器具にこだわったタイコ・ブラーヘは、 当時、最良の科学計器を制作、そして活用。ウラニボリには、天文学調査のための機器、研究所だけではなく、図書館や、製紙機、印刷機、家庭菜園、人工池、果樹園、灌漑システム、小麦粉製造所も設置されていた。


新しい星は視差を示さないゆえ、球にくっついている星は不変であると述べる。コペルニクスの理論では、地球が太陽を公転するため、完全で、不変物質の天体内を、不完全で変動物質である地球が回ることになり、アリストテレスの論を逸脱する。タイコ・ブラーヘも、アリストテレスの完全と不完全の差に関して支持することはできないとする。が、地球が一つの惑星であると考えられず、地球を天体のおおよそ中央に静止させることで、修正案を発表。

教会は、コペルニクスを擁護するガリレオに対し、このタイコ・システムを受け入れる。特に、イエズス会には、多くの天文学者、数学者がおり、タイコ・システムがヨーロッパを超えて(日本にも)伝えられることとなる。

中国で作成された、タイコ考案天文用の設備。↓





★ Reference:
― Lachieze-Rey, Marc, and Jean-Pierre Luminet, Celestial Treasury: From the music of the spheres to the conquest of Space, trans. by Joe Laredo. Cambridge University Press, 2001.

☆ ウラニボリの博物館のサイト 

★ 様々な国の歴史的な天体の絵図が見られるサイト(その想像力に感嘆)
― World Treasures of the Library of Congress

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2008年07月04日

ミニ「天文学史」− 4

ルターを中心としてヨーロッパを「うねった」プロテスタントの波は、
『出版技術の向上→聖書の翻訳、古典書物の再解釈→より多く読むことによって活性される新らたな見出』を促進しただけではない。

ルターは、聖職者と平信徒との格差を少なくするためにも、結婚を積極的に勧め、信者が集まる席での合唱を奨励する。ルターは、説教を聞くだけの聴衆の受動的な立場を、唄うことで「参加する」という自発さを促す。ルターの音楽に対する情熱は、「神の最高作品の音楽の中に、神の純粋で完璧なる賢明さがある」と。多声音楽が、まるで「神聖なる舞(ダンス)」であるかのように、空間を周り、舞い、感覚に訴える、と考えていた。
聖書(神の言葉の本)を読み解釈する、という文学的な側面と、創造物(=地球・天体、神の作品)を理解する、という数学的、観測的な側面との間に類似性が存在した。

この類似性に「音楽」が関係していた。

プラトンも、天球のハーモニーについて言及し、それは、キリスト教に引き継がれ、中世を経、ケプラーは、音楽と天体の関連性をより発展させる。

レティクスは、音楽を作ることと、数学を行うことの類似性を見いだす。

ガリレオは、もはや星達のダンスから地球が外されることはない、と考えていた。

Helio-centric.jpg


ルター派のレティクスと異なり、ルターは、コペルニクスの地動説に対し、「聖典に反する愚か者」と言及したとのこと。
レティクスの師で、何かとレティクスの援助もしていたメランヒトンも、「ポーランド人の天文学者か、地球が動き、太陽を“動けなく”しているのは。」と、コペルニクスの説には否定的な態度。

コペルニクスもレティクスも、神の創造物である宇宙が、複雑であるはずはないと考えた。中央で、太陽が全てを統治し、最も美しい神殿/教会から全てを一度に照らす、と。

地動説を唱えたのは、コペルニクスが初めてではないが、数学的に立証したのが、コペルニクス。多くの異論を唱えた天文学者、例えば、オシアンダーは、コペルニクスの説は単なる数学的モデルで、現実との関連性はない、と否定している。


私が最も気になる点、芸術にも宗教にも関連したと考えることは、地球から太陽までの距離は、とてつもなく遠い、とコペルニクスが述べたこと。プトレマイオスのシステムでは、地球を中心とし、天体が一日で回るので、惑星が遠くにあることは難しい。つまり、天体は必然的に小さくなる。さもなければ、ものすごい速度で回転する必要性があるから。この視点で、絵画、建築を観察すると色々見えてきて面白い。


Reference:
― Danielson, Dennis. The First Copernican: Georg Joachim Rheticus and the Rise of the Copernican Revolution. New York: Walker&Company, 2006.
― Hobson, Art. Physics Concepts and Connections, 3rd ed. New jersey: Prentice Hall, 2003.

On-the-Revolutions-2nd.jpg
コペルニクス死後出版『天球の回転について』(第二版 タイトルページより)

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2008年07月03日

ミニ「天文学史」− 3

コテコテのカトリック信者コペルニクスによる、気の進まない出版、「天球の回転について」までの経緯。(死の床でその本を見たコペルニクス)


● 地動説を唱えたとして有名なコペルニクス(1473ー1543)●


Copernicus-banknote.jpg(*)
Image © Jacob Lewis Bourjaily


Frauenburg カテドラルは、聖母マリアのカテドラルで、フランスのノートル・ダムよりシャープな感じのゴシック建築であったろうと思われる。(Virgin Mary → Our Lady → ドイツ語では、Unsere Frau)[第二次大戦に大打撃]

10歳で父を亡くした後は、そのFrauenburg カテドラル(↓地図参照)の司祭である叔父がコペルニクスの保護者となる。

Frauenburg.jpg
Image © Google Map


コペルニクスは、まず現ポーランドの中央に位置するWloclawekの大学で3年勉強し(当時の天文学、数学も含む)、将来の司祭として教会法学の学位取得のため、イタリア、ボローニャ大学で3年在学。教会法学終了の公式な書簡を得、定期的な収入を得ることができたことから、それまでの財政面の重荷がなくなる。この頃(コペルニクス、24歳)より天文学教授の元、月食を含む、天体観察が始まる。
コペルニクスは、1500年の聖年をローマで祝う。つまり、ボルジア家の教皇アレクサンデル6世の時代。約1年、ローマにて数学と天文学を学び、Frauenburg の叔父の元に戻る。

しかしながら、学位を取得したわけではないので、法律と医学を学ぶためにイタリアに戻る。ボローニャではなく、パドゥア大学に入学。
【過去記事:パドゥア大学解剖学の話と時代

コペルニクスは天文学と医学をパドゥア大学で学ぶ。当時の天文学は、基本的には占星術。占星術が医学との関連も強かった時代。
最終的に、ボローニャ大学でもパドゥア大学でもなく、フェラーラ大学で教会法学の博士号を取得。フェラーラで医学も勉強。
当時、フェラーラは教皇アレクサンデル6世の娘ルクレツィアと結婚したアルフォンソ・デステ(芸術家パトロンのイザベラ・デステの弟)の父の統治下。こういう風に眺めると、コペルニクスは、ダ・ヴィンチと同じ街にいたこともあったんじゃないか、と思えてくる。司祭も芸術家も統治者との強い交流があった時代。

Copernicus-stamp.jpg


1512年(コペルニクス39歳)に保護者であった叔父がなくなり、Frauenburg、Ermlandにて司祭を継ぐ。継いだことにより、自分の時間に余裕ができ、天文学に専念。裸眼で観察をする。

1514年秋には自筆による本を作成。その本、Little commentaryの中で、地球は天体の中央には位置していない、ことを述べている。
注目したいのは、カトリック司祭のコペルニクスは教会に歯向かうつもりはまるでなかったこと。(** 3年後の1517年にルターのプロテスタント活動が始まる。)
コペルニクスは、プトレマイオスの天体システムに疑問を感じ、調べているうちに天動説の誤りを発見したのである。例えば、地動説での火星の見かけの逆行運動を説明するために導入された複雑な天体のシステムに疑問を感じた。とは言え、プトレマイオスへの敬意が損なわれることはなかった。

地動説を信じたコペルニクスだったが、天体の外側の透明な球の存在(はりついた☆も)は信じ、神が天体の外側から全体を見ていた、と考えていた。

これまでの説と異なるコペルニクスの1514年時のまとめの一部。
1.宇宙の中心に中心となるものはない。
2.地球の中心は、宇宙の中心ではない。
3.宇宙の中心の近くに太陽が存在する。

イタリアから遠くに住んでいたコペルニクスだったが、1514年の暦の改善の際、教皇レオ10世がアドバイスを必要とし、専門家達をローマに呼び寄せる。コペルニクスは、その専門家の一人として名前があがっていたが、ローマには行かず、書簡でのやりとりのみ。

コペルニクスは、自分の研究に打ち込める、静かな暮らしを所望。


それゆえ、ウィッテンベルグ大学の数学と天文学の若い教授、ゲオルグ・レティクスがいなければ、コペルニクスの「天球の回転について」は出版されなかっただろう、と言われている。


ウィッテンベルグ大学には、元々ルターも教授としていた大学で、レティクスの時は、メランヒトンがプロテスタントのリーダー。メランヒトンがレティクスの師でもあった。

そのレティクスとコペルニクスの出会いは1539年5月。神学ではなく(という条件付き)、天文学の件で、レティクスがコペルニクスと会うことを望んだのである。

宗教の対立を超え、二人はまるで旧知の仲のような関係になる。(41歳の年齢差。先生と生徒、親子のような関係。)


RheticusArms.jpg
左記:レティクス母方の紋章。ネギがかわいい。

Image © Dennis Danielson, The First Copernican: Georg Joachim Rheticus and the Rise of the Copernican Revolution (New York: Walker&Company, 2006), next to the title

〜〜 続きは次回 〜〜



(*)1982年、お札の顔となったコペルニクス。
コペルニクスは、経済に関する書を出している。当時はお札がなく、コインのみ。銀と銅の混合のお金は、その銀の比率が下がるとコインそのものの価値も下がる。それゆえ、比率がまちまちだと、銀の比率の高いお金はタンスの肥やしとなり、悪質なコインが経済を循環することになる。それは経済の悪化につながる。コペルニクスはそういったことを観察し、まとめた。



Reference:
ー Danielson, Dennis. The First Copernican: Georg Joachim Rheticus and the Rise of the Copernican Revolution. New York: Walker&Company, 2006.

ー School of Mathematical and Computational Sciences, University of St Andrews, Scotland


天文学はさておき、1500年時を身近に感じたい人へお薦めの小説
塩野 七生著:「ルネサンスの女たち」(イザベラ・デステ、ルクレツィア・ボルジアなど)、「チェーザレ・ボルジアあるいは優雅なる冷酷」


タグ:宗教
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2008年07月02日

ミニ「天文学史」− 2

紀元前4世紀、アレクサンダー大王が、アフリカ西海岸沿、地中海東側、特にエジプトに新しい文化繁栄をもたらす。プラントやアリストテレスの思想が、アレクサンダーの帝国を通じて広まる。紀元前331年に大王によって設立されたアレクサンドリア。

Alexandria.jpg
Image © Google Map

アレクサンダー大王以前は、政治も倫理的なことも、科学、数学的なことも全て同じ土壌で、多くの場合、同じ人々によって議論。
現代の科学的な感覚、“特別な技術を持つ人が、政治とは無関係で、独立して小規模なグループをベースとして研究を行う”という感覚は、アレクサンダー大王による征服後、アレクサンドリアにて芽吹く。 アレクサンドリアにて、量ベースの(原始的な)科学が始まる。

ギリシア人、プトレマイオス(about 85―165)も、アレクサンドリアの天文学者(数学者)。プトレマイオスの理論は、アリストテレスの天文学に関する確信をベースとし、観察&計測。
とは言う物の、現代の科学とは異なる。

が、17世紀に至るまで、プトレマイオスの説を覆すのは容易なことではなかった。


プトレマイオスの天動説は、数学的な分析ベースで、貼り付いた星星の球内の中央(付近)には、地球が位置する。おのおのの天体の動きは独立し、惑星間の距離を考慮していないものであった。中世を通じて、その球の大きさは、科学的な追求もされず、哲学的な憶測を超えるものでもなかった。

アリストテレスの説では、地球は宇宙の中央で”休んで”いる。(静止している。)
そうなると、当然、説明できないことが出てくるため、それに対応すればするほど、天体のシステムが複雑化する結果となる。

◯ 太陽と惑星が、地球と近くなる時期と、遠くなる時期がある。惑星が早くなったり、遅くなったりしているように見えることに対応する必要性。
ーー> 地球は、中央に位置せず、少しズレた場所で静止。中央を挟んで対称する位置には、エカントを設置。

◯  惑星の逆行を説明する必要性。
ーー> 従円(デフェレント)と周転円(エピサイクル)の作成。




★☆★ わかりやすい動画を紹介しているサイト
(スクロールをして、動画や他の画像を是非見てみてください。)
→ Department of Physics, University of Oregon
→ California State University, Fullerton


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時代はルネサンス。

ローマ教皇ユリウス2世のプライベート図書館 Stanza della Segnaturaの天井画の一つ。(「ラファエロの間」)


Raphael-Stanza.jpg
ラファエロ作: 1508 to 1511


壁画の一つ「アテネの学堂」
(下記、画像をクリックすると、元の大きなイメージにリンクします。)
SchoolofAthens-Raphael-s.jpg

  
この壁画で、なぜか目が合ってしまうのが、向かって左端の子供。右端のラファエロ(1483―1520)。そして、左中にいる女性[アレキサンドリアのハイパティア(370? ―415)であると言われている。]

ラファエロの自画像の横、冠をかぶり、地球儀を持っているのがプトレマイオス。
プトレマイオスは、ラファエロを見ているようである。
SchoolofAthens-Raphael.jpg

SchoolofAthensHypatia.jpg
アレキサンドリアのハイパティア(370? ―415)は、ノーベル物理化学賞受賞のキュリー夫人以前の女性科学者の中で、最も有名とも言われている。

ハイパティアの父親は、テオドシウス1世の治世時に、有名な数学者/天文学者であり、アレクサンドリア博物館所長を勤める。ハイパティアは、父親を凌ぐ才女であったと記されている。 アルカディウス治世下では、新プラトン主義哲学校の校長も勤める。
ハイパティアは、天文学、数学、哲学だけではなく、天体観測用(&時間計測や十二宮図のための器具)のアストロラーベのデザインや、水を蒸留するための器具を向上。
*参照:Institute & Museum of the History of Science
→ アストロラーベ コレクション。

過激キリスト教サイリルが総司教になって以後、キリスト教徒の狂信的な行動は加速し、415年に捕らえられたハイパティアは、裸にされ、息途絶えるまで貝殻で肉を剥がれ、死後、四つ裂きされ燃かれる。



ラファエロが天文学者の側に立ち、こちらを見、ローマ教皇の図書館で、キリスト教徒に殺害された異端の女性(天文学者)もこちらを見。。。


タグ:宗教
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2008年07月01日

美術史家卵によるミニ「天文学史」− 1

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元々は、16世紀作であると言われている木版画。1907年の出版物でアール・ヌーヴォーの作品との説もあり。


宗教の枠の中で、科学史が哲学、芸術(建築、絵画、彫刻など)に非常に関連があることを実感し、普段耳にしないであろう科学史の面白さをちょっぴり書いてみようかな、と。(全部書くと、本になってしまうから。)

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1543年はヴェサリウスの解剖学書とコペルニクスの著書が出版されたことにより、科学史にとっては重要な年。

コペルニクスの地動説の再発見以前、中世では特にアリストテレスの天体の定義が信じられ、それによると、地球上の物質は「火、水、土、空気」の不完全な、完璧な元素ではない、四元素の組み合わせからなり、天体は完璧な元素、第5元素でできている。そして、宇宙は有限である、と。

アリストテレス説を基本としたローマ時代のプトレマイオスの天動説に、キリスト教理が組み込まれ、中世では、土星の外側の透明な球には、☆☆☆星☆☆☆がはりつき、天使がまわしている説が信じられていた。[紀元前3世紀既に、アリスタルコスが太陽中心説を唱えていたが、受け入れられてはいなかった。]

約1800年間!!! 長い。


ダ・ヴィンチのように月食を観察していた人は例外として、上記の説が一般的であったルネサンス時代。


どの時代もパトロン、アートを必要とし保護した人(アートの価値を見いだし、お金を払い、アートの力を利用した人)がいたために、過去に創られたアートが現在でも見ることができる。

中世、ルネサンスもパトロンの役割、存在は大きく、カトリック教団の力を無視できない。

つまり、パトロン(宗教関係の高位に位置する人:教皇、枢機卿、司教など/皇帝などの権力者)がどういうふうに神の存在を意識していたか、アーティストがどう神の存在を意識していたかが、芸術に反映されている。

神の存在をどうとらえていたかは、例えば、絵画では、空の穴/割れ目からの「光(の射)」は、空が有限であるという認識の反映のようでもある。

ゴシック様式の建築物にも神の存在の意識は顕著に現れている。12世紀、ゴシック様式カテドラルの発案者と言われている、修道院長シュジェール。教会を「神の国の象徴」として考え、その意を反映した結果が、ゴシック様式の誕生、と言っても過言ではない。
ゴシック様式のカテドラルは「神の国の象徴」であるから、その後どんどん高くなる。(天に近づく。)
ゴシック様式カテドラルの天井には何が見えますか?

ーー> バベルの塔の建設意識とは異なる。


この意識を揺るがしたのが、天文学史の発展である。

タグ:宗教
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2008年06月29日

美術史を扱っている映画

Monalisasmile.jpgモナリザ・スマイル(mona lisa smile:2003

主演 
ジュリア・ロバーツ
キルスティン・ダンスト【Kirsten Dunst】
ジュリア・スタイルズ【Julia Stiles】
マギー・ギレンホール【Maggie Gyllenhaal】

Image © Sony Pictures Digital Inc.

1953年、美術史講師役のジュリア・ロバーツが伝統と格式を重んじる大学で、本を記憶するテープレコーダ的な優等生に、美術史を学ぶこと、絵を見ることはどういうことかを伝えようとする映画。実は、美術史がメイン、というよりは、自分とは何か、人生とは何かについて、生徒と先生のコミュニュケーションの様子を描いている。才能のある女学生達が、その才能より、結婚し、子供を持ち、良妻の鏡となるだけ、機械的な人生であることに挑戦する講師の物語。

1953年はモダニズムからポスト・モダニズムにかけて動き出す時期。モダニズムの象徴とも言える20歳頃の美しい女学生が登場。髪型、カールがかわいい。

この映画で、スライドのための機械に注目。
それからスライドの素材、大きさにも。(ジュリア・ロバーツが列車で見ているのはモダニズム幕開けの象徴作、ピカソ、「アヴィニョンの娘達」:美術史上で最も重要とされている作品の一つ。)

映画にありがちの、明確さ、美的さ重視ゆえ、実際には美術史講義用機材のテクニカル面と時代、講義内容のレベルがズレているようにも思うが、ともあれ、昔の様子を垣間みることができる。

ところで、美術史が学校の科目に初めて導入されたのは1813年。ドイツ。その後、ドイツ、スイス、オーストリア。。。へ。ユダヤ系ドイツ人の美術史家、アート・ディーラー、アーティスト、建築家が第一次〜第二次世界大戦に渡米したことにより、アメリカにアート・シーンが移行。

女子大学でなくても、現代も美術史を勉強するのはなぜか女性が大半。今でも、まるで女子校のよう。アーティストが男性だったからなのかしら?!それから、スライド使用から、パワーポイントに時代が変わっても。美術史講義は暗室。

初めてこの映画を見たのは機内。
美術史のことはさておき、好きな映画。多分、映画の色使いと音楽が好み。
(実際の美術史の講義は、講師もよるが、もっと面白い。)

7月3日:追記
夏の2学期のコース。なんと講師がかっこいい!
美術史講師。全員ではないが、かっこいい若い女性の比率が他の学部より多い。
私もあんなふうにかっこいい女性になりたい。。。


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2008年06月23日

数学は 崇学

数学は学校で習うもので、社会人になってからは、数学、というより、算数の必要最低限の知識があれば、後は電卓とコンピューター任せ。数学科のドクターを取得した友人がいても、美術史を勉強している私のように、特殊な科目に関心があると思い込み、これまでは、数学の公式や図に対して「美」を感じたことはなかった。


ところが、今は、数学は科目の中で最上位に思える。



古代ギリシア時代、数学のできない人は、プラトンのアカデミーに入学が許可されなかった。
数学の特性「無限性、普遍性、完璧性」=「」のために、数学はまさに、必要最低限の学問の基礎であるだけでなく、最上級の学問。
その「調和」「バランス」の完璧性ゆえ、数学は「音楽」と相互関係を持つ。(→ピタゴラス)

中世は、その数学の特性「無限性、普遍性、完璧性」そして「美」は、一神教の「神」の特性と同質と解釈される。

例えば、円。

円の、どこまでも終わりのない「調和」は、究極の形として尊重される。

コンパスを、神は世界を創るために用いた、との解釈。
それゆえ、"God as Architect of the Universe." という解釈がある。(現在の感覚では、直訳で「世界の建築家としての神」的に感じるが、「世界の創造者たる神」と訳すのであろう。ここで、Creator ではなく、Architectである点に注目。)

13世紀初頭のマニュスクリプトからの図。(Old French Bible moralisee, Vienna)
god-with-compass.jpg (1)
Tachau, Katherine H. "God's Compass and Vana Curiositas: Scientific Study in the Old French Bible," The Art Bulletin, Vol. 80, No.1 (1998): 8.

旧約聖書で神が7日で世界を創造したことになっているが、中世の人々が、神が世界をコンパスで作成したと考えたその発想は興味深い。なにせ、神が「創造者として、コンパスで世界を計った」のだから!!??? 
それにしても、上記の絵の世界は、ブラックホールのようでも、意味の深い抽象画。
神様の左手に注目。この持ち方、気になる。

というわけで、数学科、数学が不可欠で駆使のできる建築家(=芸術家)は神に近い存在なのである。宗教画の多い美術史では、ピタゴラスの名前は頻繁に現れる。

地球を中心に他の惑星が回り、星は惑星の外の透明な球に張り付いていると考えていた時代。
その球は天使たちが動かし、惑星と太陽は、時計の中にある沢山の連動歯車のように連鎖しながら動くと考えていた点(複雑な織物機のよう)が、想像すると愉快でもある。中心としての地球から球までの距離感が、当時の人々は無関心であったため、宇宙が無限に広いという、という概念はない。(天文学の歴史は別の機会に)

Melancholia-Is.jpgコンパスのある絵は意外に多い。

例えば、アルブレヒト デューラーも、版画 メランコリア I でコンパスを描いている。(丸枠内)
芸術家の幾何学の知識の豊かさ、重要性がちりばめられ、描かれた一つ一つに意味がある、アイコノグラフィ(図像学)の代表作品。

この作品、過去に生で見たことがあるが、天文学との関連性の説明を読んでも実感がなかった。
が、今回、古代、中世、近代の天文学の流れを勉強して、美術史の理解がより深まった。


DeCruce-Antwerp.jpgChristoph Plantin。アントワープの有名な製本・印刷業者。右記、1599年出版本、タイトル・ページのイラストより。
"Labore et Constantia" (Labor and Constancy:労働と忠誠)は、Plantin のモットー。
Image © Museum of the History of Science, Broad Street, Oxford

Christoph Plantin の標章にはバリエーションがある。
空/天から出た手が持つ様々なコンパスの標章が紹介されているこちらを是非! ため息がでる。

時代は遡り。。。
イギリスの詩人でもあったウィリアム ブレイク(1757−1827)は「神」とニュートン(1642ー1727)を描いている。当時のイギリス人のニュートンへの畏敬の反映!??
(左:創造神 / 右:ニュートン)

WilliamBlake.jpg


ロンドンのウェストミンスター寺院では、国王よりも、シェークスピアよりも、ニュートンのお墓がはるかに大きい、とのこと。訪れる予定のある人は、是非、比較してみてください。(何度か訪れたことがあるのに、ニュートンのお墓気にしたことがなかったわ。。)

NewtonPaolozzi.jpgイタリア系、スコットランド人アーティスト、Eduardo Luigi Paolozzi によるニュートン。
(ブロンズ:1995)
British Library の庭に。


ニュートンは科学(数学、自然哲学も含む)を当時、極めた人。
ニュートンの人柄を織り交ぜた、科学史 I の授業で、ニュートンの功績の凄さ(性格の強烈さ も)が身にしみ、建築や芸術への影響も改めて実感。


コンパスが輝いて見える。

ー Bibliography ー
(1)
Tachau, Katherine H. "God's Compass and Vana Curiositas: Scientific Study in the Old French Bible," The Art Bulletin, Vol. 80, No.1 (1998), pp. 7-33.


ー 他 イラスト ー
wikipedia 著作権の期限切れの画像より


追記/続き
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2008年06月07日

発想の妙:映画予告編のサイト

この映画の予告編のイメージに、びっくり。
というのも、超シンプルでありながら、多くのことを物語るから。(そして、キャッチ コピーにも、そういう表現方法もあるのね。。と。。)

Bill Maher 'Religious' 10月3日公開予定
BillMaher.jpg
 *アメリカ人、Bill Maher 氏は、プロデューサー、
 プレゼンター、ライター、
 コメディアン、俳優でもある。

「聖骸布」は、イエスが埋葬された際に包まれていたとされる布であるため、キリスト教にとっては非常に大事な布。カトリック教会では聖餐を「聖体の秘跡」とし、パンとワインがキリストの体と血に変化し、それを信徒が分け合うことをミサの中心とする。

などということを知っていると、このイメージのメッセージ性の強さを感じる。

この予告編では、映画が興味深いどうかはわからない。そして、個人的に、特にどの宗教を信じているわけでもなく、信じている人を非難することもなく、これまでもこのブログで触れてきたように、中立の立場でいながら、芸術史への多大な影響と、なぜ宗教間で対立せざるをえないのかという悲しい現実に関心がある。


歴史上の「聖人の遺品」の影響力の一つに少し触れると、
フランス、シャトーにあるノートル ダム大聖堂【Notre Dame=Our Lady(英語) は、「聖母マリア」のこと。】は、聖母マリアが着ていたチュニックのために、昔から巡礼者が耐えない。ゴシック様式に建て替えされる前、1194年6月10日の大火災で木製の屋根のバジリカと市の80%が破壊。この大事件を神のご立腹であると解釈し、ショックの中、教会の大部分がダメージをうけたにもかかわらず、奇跡的に、このカテドラルが保有していた聖母マリアのチュニックが無事であり、ショックのムードは一転、歓喜へ。「これは聖母マリア様が、より大きな教会を望んでいらっしゃる」と市民は解釈し、再建の原動力となった、という歴史がある。遺品中の中でも、最も高価な遺品の一つである、聖母マリアの布。あの壮麗なカテドラルが二つ建つほどの高額品なのである。

聖人の遺品のために争いも耐えなかった歴史など、様々なことを考えさせられる。

タグ:宗教
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2008年06月01日

芸術家のチラリズム

西洋の有名芸術家、名を残す芸術家は皆、過去の芸術家(古代ギリシア文化〜身近な過去)の際立ったエピソードを引用、参照する。敢えて、その痕跡を隠さない。

なぜ、そうするのか?
 

理由はいろいろあるのだが、それが見えると、過去をきちんと勉強、研究していること、過去への尊敬が作品の一部に溶け込んでいるのを感じる。体系的に勉強するのではなく、実践的に経験がベース。
「制作技術だけではなく、アカデミックな知識(歴史、作品のコンセプト、これまでの文化の差、価値観なども含む)もあります」、というのを「ワザとらしく、あけっぴろげで」見せるのではなく、とんちが効いていたり、ウィットがあったり、とゲーム感覚。

つまり、美術史をある程度理解していても、宗教、神話、数学、医学、天体学、生物など柔軟性がないと解けない「ひねり」があり、それが人々を魅了する。(解けないものほど、解きたくなる心理に訴える。)

多くの人が感じる瞬間に放つオーラだけではなく、「なぞなぞ」に似て、過去やコンテンポラリーの作品の流れを知らない人には解けないストーリーや、イメージが隠されている。偉大な作家は両方のオーラを持つ。

チラリズム。


つまり、過去の偉大な作家による作品の持つパワーをちらっと見せる。
どう見せるかが、魅せるポイント。

中世以後、21世紀までは、それ程露骨ではなかった。
ブルネレスキのようなルネサンス中期までの芸術家は、真面目さが作品に現れている。
その誠実さと、作家の才能の融合さに頭が下がる。

バロック、ロココは渦のような発展系を示す。芸術家達が、外交官も兼ねた時代だけに、知能と技術に長け、場やタイミングを心得ていた。

印象派はアカデミックなやり方を打破したが、過去のアーティストが求めて実現しようとした目標までは崩していない。それどころか、古代とのつながりは強く、コンセプトは似ている。独自の表現方法を発見したため、新鮮に見える。

過去もしっかり知っていますよぉ、でも、固定観念を崩しましょう、というサインを、ふざけ半分、冗談半分で楽しんだのが、ピカソ、マルセル・デュシャンラウシェンバーグ、アンディ・ウォーホールなど。
モンドリアン曰く、『Art is a game and games have rules.』つまり、ルールを知らないとゲームを本当の意味で楽しめない、ということ。。。

熱心に研究して、独自のアイデアと組み合わせることにより、調和がありつつ斬新さを見せたのが、クレーやカンデンスキー。
コンセプチュアル・アートも、くどい程、過去の芸術家を見る。(まるで、過去の恩恵に預かっている感のある作品も。)

これまでの傾向や独自性がマンネリ化したことに対抗するものを創りだすが、それは、過去を全て無視することではない。

ゆえに、将棋や囲碁と似て、「お、その手できましたか。」という楽しさがアートにはある。


現代はどうか?


アートの形は様々。必ずしも過去を参照する必要性もない。
でも、”有名人”は参照している。

以前記事を書いた、カナダ人アーティスト、Brian Jungenのナイキ シューズの作品はチラリズムが絶妙だと思う。時代を反映している。

BartholomewDM.jpg近年、何人かの英国人アーティストは露骨。過去の2Dの作品を、現代のテクノロジーで3Dにしただけに見えることも。そこには、本人のアイデアも、「ひねり」も「とんち」もない。作品と作家の親密さもない。まるで、過去の作品を見て、「あ、これ、使えるね。目新しいんじゃない。」と。後、作業はテクニシャンに依頼。完成。
そんな感じに見える作品がある。それはオリジナルの芸術家に失礼である。

最近、過去をとりあえず参照することが「芸術家生命維持」であるかのようで、露骨。
沢山のお金と、ちょっとした図書館通いで作品ができている。
今なら、本人のアイデアの質はともあれ、”クリック”アーティストも多い。(インターネットで検索したものを、メールオーダして完成。つまり、”クリック”で作業。)

どう作成したかは知らないが、

Damien Hirst の St Bartholomew (Chatsworth)には、写真で見る限り、正直がっかり。(過去記事:ミケランジェロと解剖学、参照。)
ミケランジェロ=大理石。ミケランジェロの素材へのこだわり。ミケランジェロの聖バルトロメゥは自画像。ゆえに。。。はぁ。実際に像に対面したら違う感想が持てることを期待。



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