2011年07月17日

海のメタフォー

疑問が解決した時の嬉しさは、水平線を見ながら、とめどない ゆらゆらした波の揺れの中で立っている時に感じる、満たされた感覚に似ているように思う。岩に打ち寄せられた水しぶきのように、爽快な気持ちになることや、心臓が羽根のように震える(血が騒ぐのか、知が騒ぐのか)感覚を覚えることも。これが、難しい課題に取り組むための 次の原動力となる。

他方、果てしない、知識の海は広すぎて終わりがない。論証のために、数十冊の本と格闘し、分析、編成、議論を組み立てているときは、難破した気分になることも。自分の知識では到底叶わない授業をとると、撃沈した気分にも。睡眠時間が減ると疲労が溜まり、難破船が沈むように、ベットに倒れていることも。

次々と押寄せるゆらゆらした波の感覚は、時に幸せを、時にチャレンジ感を私に運ぶ。溺れないように気をつけながら、この心地よさを味わうことがやめられない。
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2011年07月14日

塩野七生 著:日本人へ リーダー篇のブック・レビューへの所見

読売新聞「本よみうり堂」に記載されていた、 東京大学史料編纂所、本郷和人准教授によるブック・レビュー、論客の叱咤が迫る「覚悟」: 日本人へ リーダー篇/国家と歴史篇 塩野七生著読売新聞:新刊批評:2010年8月1日)への所見:


この書評は、塩野が、古代ローマのリーダー、カエサルやアウグストゥスによった巧みな政略の例を引き、「計画的な駆け引きのできない(現代の)日本人」による外交・軍事の低迷を指摘する書である、と始まる。日本中世史専門の本郷氏は、物事を有利に展開させるための策略や駆け引きに日本人が弱いのは、「日本の前近代史のどこを探しても、政略を巧みにあやつった名手は、残念ながら見いだせない」ためであると補足をし、グローバリゼーションが進んだ今、「政略」とは何を意味するのか塩野の著作から学ぶことは多い、と書評を締めくくる。

序論と結論では塩野氏の著作を称賛する一方、この書評の主要部で 本郷氏は塩野の歴史的人物の客観性を指摘する。この書は古代ローマ時代の英雄の「時を超えた提言」ではなく、塩野の直言であり、その英雄らが実際に、塩野の「造形した人物」と一致するかは別問題である、と。同時代の政治家の本心がどこにあるかを見きわめるかが難しいように、時代が離れていては直接インタヴューする機会もなく、 この本郷氏の意見に異論はない。しかしながら、本郷氏によるこの指摘の説明にいくつかに疑問を感じるため、ここに私の見解と補足説明を二点、下記に記す。

1)時を超えて有効な Ars rhetorica と、政略の関連性を理解すること

『日本人へ』に登場する古代ローマ人は、塩野の「造形した人物」である、という指摘を説明するために本郷氏が用いた、下記のブドウ酒の例えは、この記事の読者には誤解を与えかねない。本郷氏曰く:

私たちはずっと昔からブドウ酒を飲んできたけれども、古代ローマのやり方でそれを作りつづけてはいない(「歴史ことはじめ」より)。ブドウ酒の製法が変化するのと同じく、人間の考え方や理念、それに感情すらも、時間とともに推移する。昔の人の行動を、今の私たちの理性・感性で捕捉すること はきわめて困難である。だから読者をひきつけてやまない塩野作品中の英雄たちは、あくまでも彼女が造形した人物なのであって、歴史の実像に近いかどうか は、またちがう話にならざるを得ない。

現代の技術で作られたブドウ酒と、古代ローマのやり方のブドウ酒製法の比較では、現代ブドウ酒の方が、洗練された製法である、定期的に購入して飲みたい、と考える人の方が多いであろう。科学工業技術の発展とそれによって快適となった生活に慣れている我々にとって、現代の方が「進んでいる」と考えがちなのは、私も含めて避けられない落とし穴である。

『日本人へ リーダー篇/国家と歴史篇 』が、今必要とされている書であるなら、現代と古代の理念や理性の差を指摘するより、なぜ、どうやって、塩野が古代ローマの「政略」が長けていたかを悟ったかを理解する必要がある。

カエサル、そして彼の同時代のキケロなどの書簡が現存しているが、弁論技術が使用された文章構成そのものが、政略とは何かを伝えるのである。科学技術の発展のために、古い物が流行遅れと扱われがちである現代であるが、現代でも未だ超えることのできない文章構成の基礎を伝えるのが雄弁家キケロやギリシア哲学者アリストテレスの書である。

「雄弁家に必要なのが弁論術/修辞学」と書くと、漢字から受ける印象と、言葉の響きから、弁論大会などを思い浮かべて、それに出る人の技術と思い浮かべては、日常使用とかけ離れる。古代ローマの修辞学者クインティリアヌスは、Ars rhetorica(訳:弁論術・修辞学)を「きちんと話す術」とし、「話す必要のある内容にあった正しい表現方法の術」と説明する。クインティリアヌスの著作『Institutio Oratoria(訳:弁論家の教育)』は、きちんと話す術の教育方と、きちんと公で演説ができる人になるためのマニュアル的な本であるが、読むとこの技術習得には並々ならぬ訓練が必要なことを実感させられる。歴史や詩の習得、身振りと身だしなみの詳細なども盛り込まれている。弁論術が政治に有効であった点は歴史が語るところであるが、政治家に限らずとも学ぶべき点は多い。

巧みな言葉の使用(Ars rhetorica)は、 国と国の外交だけではなく、 恋愛の詩や紀行にも使われ、Ars rhetorica が用いられた古典文学の内容の濃さは、今でも西洋教育の基礎として使われ、文学・言語専門家も師として仰ぎ分析に勤しむ。キケロやクインティリアヌス、ウェルギリウスやオウィディウスの作品の一文一文から、あるいは、一ページ一ページから発せられるパワーは、読み手を感嘆し、想像力を刺激し、心臓が震える感動と与え、言語の豊富さ、観察力の豊さ、説得力の力強さに読者は圧倒されるのである。言葉一つ一つの選択の完璧さが、文章を波のようにうねらせ、その波動が読者に伝わるのである。言い換えるなら、言葉一つ異なるだけで、そのうねりの速度が鈍るのである。アメリカ合衆国のオバマ氏が大統領として就任したのも、Ars rhetorica が用いられた文に説得力があったから、というのはカナダでも有名である。Ars rhetorica は、時代を超えて有効なのである。オバマ氏の演説が、知識人、中産階級、労働者階級全てを説得できたのは、 Ars rhetorica を用いたからである。ブドウ酒製法では、これは説明できない。ブドウ酒が今も昔も飲まれているように、Ars rhetoricaで構成された文が人を酔わせる、と私は思う。

塩野は、この Ars rhetorica の使用されたカエサルやキケロの文を読み、言葉の構成を説明するのではなく、その演説により、政治や政策がどう変化した点に注目する。塩野の方法は、 ラテン語の演説文を全文訳し、コメントするのではない。Ars rhetorica に適する日本語がないように、そもそも、その原文が持つエネルギーをそのまま残したまま訳すのは困難である。そうではなく、塩野の方法は、その生き生きとした原文から彼女が感じたものを抽出し、彼女の言葉(日本語)で、日本の読者の脳に、カエサルやオウィディウスのいたローマを生々と映し出しながら、彼らの統治力、判断力、洞察力を伝えるのである。

ルネサンス時代のヒューマニスト達が、キケロに惚れ込み、Ars rhetorica を身につけたのは、キケロの優雅で、コシとウネリのあるラテン語に圧倒され、キリスト教の政治や文学にもその言語の持つパワーは活用できると熱狂したからである。フィレンツェのヒューマニスト達は、その言葉の美しさと賢明さがもたらす徳を活かすことで、個人(キリスト教徒)としても、社会にも貢献できると考え、積極的に古代の文献の習得し、自分の考えとともに解釈書、物語、評論文、外交文、詩と、ありとあらゆるジャンルに活かしたのである。さらに、教育改革も行い、必須科目に Ars rhetorica を取り入れる。14世紀の終わりにミラノを支配していたヴィスコンティは、敵対国フィレンツェのヒューマニスト、サルタティの外交書簡一枚が、千人のフィレンツェの騎手より価値がある、と述べている。一枚の書簡が、知に溢れ、敵の攻撃を抑える力があったのである。

英語が国際語になった主な理由の一つに、Ars rhetorica の法則を英語に見出し、習得し、教育に取り入れ、次の世代にも引き継いでいるから、と私は考える。大学の科目に Rhetoric があり、政治家、ジャーナリスト、作家を目指す生徒でなくても勉強できるようになっている。 Ars rhetorica を使うにあたり、言葉や文、内容の構成を行なう前に、誰が聴衆/読者であるか、という対象の選択が不可欠である。この訓練は多目的に有効な技術なのである。グローバリゼーションが進んだ今、もし日本人が外交能力を高めたいのであれば、時代を超えて有効性を保つ Ars rhetorica を習得する必要性があると思う。実際、日本の政治家と国民のコミュニュケーションが良いようには思えない。日本の政治家が、Ars rhetorica を習得するだけではなく、教育の一環に採用するなら、日本語の素晴らしさを認識する機会にも、国(知)力が上がる機会にもなる。


2) 歴史家と作家の役目の差

本郷准教授は、歴史学者の苦労、努力、解釈について下記のように述べ、作家は歴史学者と異なり、想像力を駆使できる、と説明するが、その比較と説明は、塩野を正当に評価していないように思う。本郷氏によると:

そもそも歴史の叙述は、歴史資料に誠実にむきあい、それを徹底して読みこむことによってなされる。だが遺物である歴史資料は数が乏しいから、ここで道が分岐する。良心的な研究者は、使用できる資料を少しでも増やす作業に没頭する。作家は豊かな想像力を 駆使して、資料の欠をうめていく。後者の代表が塩野であることはいうまでもない。だから、どちらがおもしろい成果を残せるかとなれば、並の歴史研究者が束になっても彼女にはかなわない。その存在感は圧倒的である。

歴史学者は、弁護士のように、現存する資料で他者を説得する必要性があり、思いついたことを安易に述べることは許されず、自らの推論を証明するための資料や自分の疑問を解決するための資料を探さざるを得ない。ただし、資料があったとしても、他の疑問が出てくるのは避けられず、推論はあくまで推論であり、個人の解釈が他の研究者に受け入れられるとは限らない。日本語の15世紀の資料の内容を、現代の日本語に「訳す」なら、訳者の解釈によって訳の内容は変化する。想像力で「資料の欠」を埋め、それが実際にあったこととするなら、捏造行為で、ルール違反であり、その者を歴史学者とは呼ばない。使用できる資料を増やすのが、歴史学者の役目であるゆえ、その者を「良心的な研究者」とは呼ばない。

専門範囲に興味がある読者に限定される、歴史学者による著作と異なり、作家は、より広範囲の読者を相手にする。そのオーディエンスによって内容のトーンも変化する。歴史学者の専門書より、作家による本(特に塩野の作品の場合)は、広範囲の読者に興味を与え、好奇心をそそり、自学への門を開く効能を持つ。塩野の『ローマ人の物語』の参考文献一覧表は、並みの歴史家に匹敵する量である。英語の歴史学者による注釈よりは、塩野の注釈が少ないが、『物語』である以上特に問題はないように思う。資料や文献からの引用、あるいは、他人のアイデアの引用にも関わらず、塩野以外の日本の著作内での注釈の少なさの方が問題である。

確かに、塩野の作品では、個々の英雄が塩野流で作られているのは事実で、 彼女の豊かな想像力と文才は読み手を興奮させるが、塩野が読んだ資料や見た遺跡が、彼女に語ることも多いのではないだろうか。Ars rhetorica の使用された文章は、聞き手や読み手にイメージを抱かせるパワーを持つ。特に、カエサルやキケロの文章を読んだことがあれば、ローマで遺跡を見ると、まるで、彼らが目の前に現れ、話をしているかのように感じるであろう。カエサルやキケロの文章を読んだことがなくとも、塩野の 『ローマ人の物語』を読んだ者にとって、その遺跡は、遺跡ではなくなるほど、生き生きとして見える。建物も未だ生きているのである。歴史を知ることは、遺跡に息を吹き込むと感じるのは私一人ではない。

塩野の文体は、聞き手を気遣いつつ、堂々とした話し家のように説得力がある。彼女のような存在が、なぜ、政治家として日本で存在しないのか、疑問である。本郷氏のように「日本の前近代史のどこを捜しても、政略を巧みにあやつった名手は、残念ながら見いだせない。。。。利害を度外視して正義を行うところに日本人の美学があった。。」それゆえ、利害を度外視する「政略」という国際政治に対応するのには、これまでのやり方では無理で、「その無理を成し遂げなければな(い)」、という意見には賛同できない。本当に、前近代史に説得力のある文を構成でき、世界と交渉できる日本人は存在しなかったのか?それとも、塩野のような存在を、政治家として持てない環境に、実は問題があるのではないだろうか。
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2010年09月13日

スキーと勉強の類似点

この画像は、現在の心境を絵図化したものです。(あまりうまく合成できなかったのだけど。。)



厚い本、大量の本、英語/日本語以外の本に直面した時、「よーし、行くぞぉ!」と気合いを入れるのですが、それは、ちょうど、スキー場で、スラローム・バーンや、コブ斜面を前にして滑るときの気合いに似ている気がするのです。いかに、かっこよく滑り降りるかを考え、滑っている最中は、体のポジションを常に意識しているので、平らな場所に辿り着くまでは一心不乱。勉強も、学期が始まると、もう、授業とコースのことで頭がいっぱい。でも、その達成感は、スキーも、美術史の勉強も似ているなぁ。。と。
論文のために読む本は、受け身で吸収するのではなく、いかに、その内容を読み解くか、批評的に読めるか、ということが重要。なので、美しく滑走するスキーヤーの心境に似ている、と思うのです。積極的にコブを乗り越えるなど、体全体で雪との接触を楽しむスキーのよう。8シーズン、スキー場でスキーを習った私ならではの発想かもしれませんが、英文の波にのりたいと思うのです。以前、書きましたが、英文は動詞の選択次第で、文がうねるのです。

現在は、頂上に立っている心境。なにせ、大学院のコースが始まったので!よぉし、滑走するぞぉ!
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2009年06月19日

学歴・活動記録

ブログのトップ、英文の最後に、最近の CV(学歴・活動歴)を貼りました。

CV-Yayo-June2009このブログの筆者が、何を勉強しているか、どんな科目に出席したのか、
に興味がある場合は、上の My CV、あるいは右記の図をクリック(細部は、さらに拡大要)すると、日本語の一覧図が表示されます。◯の線が薄く、スペースのわりに文字の小さいものは、聴講した科目、あるいは、授業科目出席時間数が多くないことを意味します。
例外は、内側の円の国名ですが、今回は科目に焦点を当てました。時計周りに美術史の流れを設定したので、どの時期を集中的に専攻しているのかが明白です。ルネサンス、バロック芸術は大学院で専門とする予定ですが、ギリシア、ローマと、中世美術も、もっと勉強しないとなぁ、と、改めて実感しています。円を限りなく広げていきたいなぁ。
 Yayo Umetsubo
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2009年04月25日

大学院の合格通知!

2週間前、トロント大学、大学院の合格通知を受けました!

「出願してくる学生は、超成績優秀者ばかりで、倍率も高く、合格する確立は低く難関です。」と、美術学部の事務員から厳しいお言葉を頂戴していました。なので、無理かな〜と思っていたから、棚から牡丹餅的な感覚(笑)。え、ほんと?って思ったもの。
* 出願には、成績証明書プラス、推薦状3部、30枚以下の論文と、自己紹介書が必要。

学部長から「未来の大学院生へ」というメール。
英語の手紙は日本の形式張った手紙と異なり面白いです。いきなり、こう始まります。「この手紙が届く前に、もう既にトロント大学からオファーが届いているはずです。あなた方が、非常に真剣にこのオファーを選択することを私達は望んでいます。カナダで非常に優れた大学院から受諾は意義があります。私達はあなた方を選びました。というのは、あなた方が輪達達のリストのトップに位置しているからです。」などなど。。。

他人事のようにこのメッセージを読んだ私。
でも、私の大好きな教授の授業がまた受講できることが、とっても、とっても嬉しい。


とは言え、大学院の入学は来年の秋に延期予定。大学院に入ってから全力で勉強できるように、一年準備期間。修辞学を取りたいことや、ドイツ語、イタリア語の勉強をしておく必要があるからまた忙しい一年となりそう。。

学期中は、休みがほとんどなく脳みその可動範囲を常に最大限に行使するので(脳を膨らませられるだけ 膨らます感覚?)、学期が終わると、いつも、一気に反作用で脳が収縮した感覚を持つ。1週間は回復に時間を要するので、今頭痛中。(笑)
夏の講義が始まる前に、体調を万全にしたいのだけど。。
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2008年08月28日

8月 Mac 大病の巻

今年の1月末に買ったMacが、まるでE.T.が病気になった時と同じような症状を示す。
青色の画面が、まるで、心臓が鼓動するように元気なく点滅し、起動しない。

論文提出日、明け方4時のこと。

悪夢かと思う程焦る反面、「大丈夫よね。」とMacに心底訴えながら、『困ったときのQ&A』に従い、付属CDでの再インストールを何度も実行(初期化なし)。症状は変化しない。強制終了を何度もせざるを得ないのがつらい。(病人に太い注射をするような刺激に思えるから。)
睡眠をほとんどとっていない数日間だったので、私も一緒に目眩。論文が紙として手元にないので、手作業の編集もできず、ただ、ただ、Macの復帰を願う。

コンピューターに依存し、バック・アップをしていなかったので、万が一故障したら大損害。とりあえず、友人に英文チェック依頼のために論文をメールをしていたので、朝一番(9時)、大学図書館でそれをプリント・アウトし、キャンセル待ち覚悟でwriting centre に行き、幸運にも英語チェックのセッションを持った後、 10時半にApple店に到着。

大混雑のAppleで事情を説明し、早めに見てもらう。が、最終決断は、原因不明の故障で、『初期化』しか方法はない、と。ハード・ドライブを購入し、データを移動した後、私のMacは初期化される。私にとって初期化は、まるで、我が子(Mac)が記憶喪失になったかのよう。始めから自分の使いやすいように、全て一からダウンロードを含め、セッティングしなおす必要があるから。

ともあれ、18時からの授業への”出席”は間に合う。空っぽのMacとともに。


追記:[最近使用したファイル]という機能を使うことができないくらい、日々、平均30〜50以上の異なるファイルが常に入れ替わりするのが日常茶飯事の大学生活。コンピューターのデータが日々変化するので、バック・アップがおろそかになりがち。。。いけない、いけない。。典型的なコンピューター依存症。
カナダの電圧は高いので、パソコンが熱湯を注いだ湯たんぽ以上にすぐ熱くなる。

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2008年07月03日

チェザーレ・ボルジア(1475ー1507)

歴史上会ってみたい人の一人、チェザーレ・ボルジア(1475ー1507)
ダ・ヴィンチが、チェザーレの元で軍師[*]として滞在していたことが、会ってみたい理由の一つでもある。
* 諸葛亮 孔明のような軍師ではなく、より芸術的で且つ技術面に長けていた顧問技師のような立場。


パオロ・ジョヴィオ(1483ー1552:医者、歴史家、伝記作家)著書にあるチェザーレの版画図と比較しながら、ダ・ヴィンチのこのスケッチ(図:複製)がチェザーレであろう、とValentiner 氏は推測。

Cesare-Borgia-2.jpg

MayBeCesareBorgia-1.jpg
copyright 下記 参照


ローマを訪れた時、偶然ボルジア家についての展覧会があって、非常に嬉しかったのを覚えている。

チェザーレの肖像画がほとんどないのは残念。アート系の雑誌、それも20世紀前半に書かれた記事でチェザーレの顔(?)が紹介されていた。

当時チェザーレは、チャーリー・チャップリン(1889ー1977)と同じくらい人気があったと同時に、[イエス・キリストの誕生を恐れ、ベツレヘムの幼児の皆殺しを命じた]ヘロデ王と同じくらい嫌われていた、と、Hevesy氏は記事(1932年発行)の中で表現している。それくらい著名であったという表現が面白い。俳優の人気と同じように、民衆の関心に波があったとも。

アレクザンダー6世の死去後のチェザーレの権力失墜後に作られたメダル。
同じメダルのようだが、表情が異なって見える。角度、光の当たり方で、これほど表情が変化する。

Hevesy 氏の記事でのチェザーレ。
CesareBorgiaMedal-1.jpg


Valentiner 氏の記事でのチェザーレ。
CesareBorgiaMedal-2.jpg
copyright 下記 参照


高貴の人の間で、メダルは名刺の役割を果たしていた、という作家もいる。

ヴェネツィア宮の失われたオリジナルの肖像画のコピー。(Hevesy 氏の記事)

Cesare-Borgia.jpg
copyright 下記 参照



copyright & reference

Valentiner, W. A. "Leonardo as Verrocchio's Coworker." The Art Bulletin, Vol. 12, No.1, (Mar., 1930): 43-89

Hevesy, Andre de. "Portraits of the Borgias-Cesare." The Burlington Magazine for Connoisseurs, Vol. 61, No. 353, (Aug., 1932): 70-75
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2008年06月02日

ソーシャル ネットワーク サービス

mixi を毎日チェックしている人も多いと思う。
アメリカ、カナダを中心に今では英語圏(英国、オーストラリア、NZ)で特に広がっている、同じようなwebsiteがある。
facebook →
facebook.jpg


facebook は、MSN messenger の配置を改善したようなサイトのため、海外の友人の近況が自然にわかる便利さがある。チャットも可能。

facebookとmixiの大きな違いは、facebookは、日記を書かず、一行メッセージ(今日の出来事)、アルバムの共有(旅やパーティなどなど、日常の些細な出来事も)や、イベント加入が主。。
参考までに、紹介なしても使用できるが、「足跡」は、facebook にはない。

mixi も、facebook も、数が、親友の数ではないところが共通点。おそらく、学生がはまるのは、科目の種類が多く、それぞれ選択するのが別のため、親しくなっても、クラスメートが3ヶ月周期で代わる場合も多いからかもしれない。後、2時間の授業があまりに濃縮され、授業後に遊ぶ気力が低下するからかも。。。
私の場合は、英国とNZ にいる友人とのアルバム共有が主の目的。最近、グラスゴーでのフラットメイトが結婚!

facebook 日本語でも使えるが、直訳のため、英語の軽い雰囲気が失われている感じ。

アーティストとその関係者、Art lover の facebook 使用が増えると楽しいと思う。
facebook は、写真がメインなので、世界のあちこちで、最近の作家活動や作品が日々アップデートされるのを忘れずにチェックできそう。
長い説明は各自のサイトに飛ぶから見やすくて便利。




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2008年05月14日

カメラは、感情を媒体する?!

1年半前、北京に滞在中、「完美」という言葉があちらこちらにあり、「完」パーフェクトの基準はどのへんなんだろう、とつい考えてしまったことを時々思い出す。「完美」ではないのに「完美」という言葉に囲まれるのも奇妙だが、本当に「完美」なるものが沢山あったら怖いだろう。

醜さも、美しさも、いろいろあって、混沌としているんだけどだんだん愛着が沸く、というのが今の私とトロントの関係に似ている。雪が溶けたら、タバコの吸い殻が山ほど道路に溢れる。それもトロント。ロンドンのように清掃車が道路をきれいにするんだから、と何でも道路に捨てる人々の感覚にも驚いたが、トロントには清掃車はない。ロンドンよりスモーカーが多い。アジア人のスモーカーも多い。

ロンドンでは美術学校だったから作品を創ったが、トロントでは美術史のため授業で作品を創る機会はない。なら、何か記念に創ろうとアイデアがいくつか浮かんでいる。

作品を創るのに、きれいな部分と汚い部分両方カメラに収めよう計画するのだが、どうも、カメラが嫌がる気がして撮影保存ができない自分の感覚に戸惑っている。始めの大家の台所が汚く立ち退き、払いすぎた分の返却の交渉のため、やむなく、汚い箇所を撮影したのだが、カメラで撮影することは、まるで、私が、その汚い物を触ってギョッとする感覚を納める感覚になる。カメラが犯されている感覚。

戦争や残虐な写真を撮影できるカメラマンをあらためて凄いなぁ。。と。目で見ているより、カメラに納める行為は、自分に焼き付ける感覚になるから。他人が撮影した作品を見る時は反対に、実物を見るより、光景の威力が弱まる気がする。
社会の裏も表も撮ってみたい衝動にかられる反面、ネガティブな光景は、カメラを通して、私の心に染み渡る。

この感覚はなんなんだろう。。


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2008年04月06日

このブログについて

このブログは、

  今はどこにいるの?
  今度はどこに行くの?
  イギリスの食事は美味しいの?
  イギリスの気候はどう?
  海外で何をしているの? 
  なぜ、◎◎ができるの?(例えば、デザイン。)
  なぜ、カナダなの?
  何を勉強しているの? なぜ、また勉強するの?
  なぜ、美術史? 前からそんなに美術に興味あった? 
  なぜ、ボランティアをするの?
  遊んでいるの? 

  etc...


と、いろんな分野で知り合った友人から同じ質問を受けたことがきっかけで始まりました。答えは一つではなく、後から思い出すことも。
時間のある時に読者が読める手紙のような感覚で。。。?!

アートが身近ではない友人にも、アートの楽しさを味わってもらえたら、という希望を持ちつつ書いているつもりですが、時々、説明不足を指摘されています。(指摘、ありがとう。)

  なぜ、美術に興味を持ったの?

アート、美術史を勉強することは、学校での数学、科学、社会、国語、英語のように科目別として理解する科目ではなく、数学も科学も社会(歴史、哲学、地理など)も日本語/国語も外国語も、全て知れば知るほどより理解の深まる科目。

アート、美術史を勉強することは、さらに、学校以外で学んだことも、趣味(スポーツすら)も関係し、柔軟性と吸収力、視野が広がる可能性を持つと、年々、実感。眠っていた知識/経験の引き出しが減る状態に近いかも。。。


とある本によると、美術館は国を代表する「顔」であると。
それゆえに、西洋の美術館は国を挙げて、建物の外装から中身に至るまで力を注ぐ、と。

日本にも世界にも多くのアート関連の学校があり、大きく分けると、
「アートを創ること」
「アートを修復、保護すること」
「アートの歴史/アーティストが何を探求し発見したか」
の3つを専門的に勉強するコースに分かれます。
それゆえに、学びたいことは減るどころか増えるばかり。。


多くのこと、大学の授業の様子、新鮮な体験、貴重な経験だけではなく、苦い経験も辛い体験(今度海外を旅する人や、住む人には避けてほしいため)も書ききれないうちに、どんどん違う経験に圧倒され。。。。そんな中、できる限り多くのことを吸収しています。

ブログのタイトルは「落書き帳」。ノートの端に、思いついたことを忘れずに書き込む感覚でもあり、童心に返り、端を気にせず道路に描く感覚でもあり。。正直なところ、「はなさかじいさん」のように花びら(過去の芸術からの知識の花びら)を撒くことで、新たな花が咲いたらいいな、なんて。

過去のアーティストとアートを勉強しながら、その文献や作品から教わったり、閃いたことから、一般的な見方と異なる、様々な視点を書きたいとも思っています。<このブログに、勉強不足のため至らない部分があるかもしれません。(特に始めのころの記事。)訂正していきたいと思っています。>

今年の秋で、このブログ「落書き帳」も3歳になります。

これからも宜しくお願いします。


カナダ、トロントより

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2008年03月10日

水が気になる。

美術史も好きだが、水への感覚を生かせないかなぁ、と思う。
(そっちの方が良い仕事にはなりそう。。でも、何科で勉強できるんだろう。)

例えば、今住んでいる古い建物、階、場所、時期によって、水の質が異なる。舌も肌も反応する。肌が好き嫌いを訴える。
キッチンの水、最近、消毒剤が増えたように思う。味だけで感じるのではなく、茶渋が水洗いで落ちるようになったから。

海外で、水について分析すると驚かれる。でも、英国もトロントも水の質にムラが多い。

後、匂いの感覚も犬ほどではないが感じる方だと思う。
こういうのって、どこで勉強できるの?


美術史を長く勉強するために、「水」「匂い」の研究でファイナンシャルをサポート。。。(夢)
タグ:water
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2008年02月03日

Mac bookが届く

我が家に初Macが届く。
Oh, my baby !
人の子供に愛着はわかずとも、我が子は違う、とよく聞くが、まさにそんな感じ。抱きしめたくなるような人間のような素肌感をかもしだすMac。
ロンドンでメヴィウスのパソコンが盗まれた時はbabyとまでは思わなかった。。それがboyfriendより大事だと気づき、というのも、私の脳の一部であったので、ものすごい打撃を受けたことは未だに記憶に新しい。Windowsも好きだけど、お店で灰色のWindowsに囲まれると、どうも焼き肉とタバコが染み付いた背広の匂いを感じる。囲まれなければ、大事なPCであることに代わりはないのだけど。

Firefox ユーザーから、このブログで字が重なっているという苦情を受けていたことを実感し、修正する。色の見え方が大きく異なることは保留事項。

トロントに来てから、授業の予習、復習で新しいファイルがどんどん増え、次から次へと課題があるのでMacへの依存が避けられない。盗まれませんように!


追伸:トロントのイートン・センターにある Mac 販売店の対応は、びっくりするサービスの。。買う気が失せるのです。


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2007年10月05日

家を取り壊す前に

「家を取り壊す前に、アーティストに貸し出す」条例があってもいいかも。

− 短期間のみ。
− 建替えの場合を除く。
− 主に壁画を促進。
− インスタレーションも可。

なかなか、大胆に壁画を試みるチャンスってない。
アーティストの即興の能力も試される。
失敗したっていい。取り壊すんだから。
壊す家だったら、いろんな実験もできるし、案外、素晴らしい作品に出会うかも。
普段、アートに関心のない人も、近所だからって見に行くんじゃないだろうか?

(続く)
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2007年06月23日

BEFORE SUNRISE

最近、また、とっても見たくて仕方がない映画。

1995年公開の BEFORE SUNRISE

残念ながら、公式HPは見つからず。

2004年公開、続編のBEFORE SUNSETのHPで「TRAILER」をクリックすると、この二つの映画をちょっぴり味わうことができる。

beforesunset.jpg


何度も会話を聞いてはゾクゾクする。
「魅かれる・引力」。
時に磁石のようでもある。
視線で射り、雰囲気というカプセルで包む。

ウィーンに。パリに。舞台も素敵。

偶然での出会い。似た経験は持つ可能性のある。。。


<追記>
両方とも 昔、ロンドンの映画館で見て印象的だった。

今日、BEFORE SUNSETを借りる。なんと、1日に4回も繰り返して見てしまう。
Great !
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2007年06月07日

共感・興感・響感

最も素晴らしい人で魅力的な塩野 七生氏、そしてその著作たち。

塩野さんの書く歴史上に登場する男性は官能的である。読むと私までその登場人物に会いたくてたまらなくなる。女性にも会いたくなるが、私が女性ゆえ、男性に魅かれるのは仕方がない。

では、現実の男性にはどう思っているのか?
というわけで、読み始めた本、「男たちへ」
「私へ」の本かと思いたいほど内容が濃く、それでいて、カラカラ笑いながら短時間で読め、1993年に出版されたにしては新鮮に響いた。


目次だけ見ても そそられる。(→以下は、読んで私が思い出したことなど

1.  頭の良い男について
2.  イタリア男、イギリス男に圧倒されるの巻
    → この比較は思いつかなかったわ! 私のプライベートを知っている友人は、この題を見てニヤリとするかも。この二つの国の男性の体から流れるリズムも違う気がする。 

3.  古き皮袋に新しき酒を
4.  再び、古き皮袋に新しき酒を
5.  嘘の効用について
6.  再び、嘘の効用について
P.51−52から抜粋
 それにしても、なぜ日本語の「愛」の言葉というのは、われわれ日本人にさえも自然に響いてこないのであろう。不自然にしか響いてこないということは、嘘を言っているようにしか聴こえないということである。なぜだろう。
 「ジュ・テーム」とか「ティ・アーモ」とか、「アイ・ラブ・ユー」と言えば自然に響くのに、「あなたを愛している」となると・・・。
 ・・・つまり、日本語による愛の表現力は実に乏しいのだ。それらを口にする時に不自然さを消してくれる、リズムが欠けているからである。いや、リズムが伴うように、言葉自体を作らなかったからである。


    → 言われてみれば、日本で流行る言葉「かわいぃ」「きもい」「おやじ」などなど。。文字数、リズムに共通性がある。英語を学ぶのにもリズムを体感することが大事だと最近ひしひし感じる。そして、個人の声、雰囲気によりそのリズムが変わる。時に音楽のよう。これに関しては、また今度。


 「男たちへ」の本について (続き)
タグ:塩野 七生
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2007年06月01日

たけなわ 酣

素敵な方(茶道家)に教えていただいた本。
365日おのおのに優しく置かれた、様々な唄的な言葉たち。

自分の誕生日はなぜか一番に見てしまう。




生命の宴

うららかな陽射し、鳥のさえずり、小川のせせらぎ・・・・・・まさに春たけなわです。
酣の語源はいろいろあります。「宴なかば」が変化したという説や、「長ける」と「成る」が組み合わさったという説などです。
漢字の方は、「酣」と書く場合と、「闌」と書く場合があります。 (続く)

続きは「美人の日本語」を見てください。やわらかい日差しと風が、頬をなでる感覚を呼び起こす本。
占いでも、性格判断の本でもなく、日本語の素晴らしさを感じる本。

「美人の日本語」の本について
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2007年02月15日

An Inconvenient Truth

映画 An Inconvenient Truth 「不都合な真実」を私も見ました。

An_Inconvenient_Truth.jpg


是非、見てください。
一番印象に残った言葉は
Please put your knowledge into action.
知らなければ何もできない。。。するもしないも知ってから。。と強く感じました。

↓ 映画を見た人は下記のイメージを記憶しているでしょう。映画で使われました。
この映画An Inconvenient Truthの制作には、getty images の名前が出ていました。
有名なサイトです。

Hurricane-2.jpg


これらの画像は、ハリケーンです。

Hurricane-1.jpg


美しい!
でも、あの惨事、特に昨年のカトリーナの惨事を忘れた人はいないと思います。
あの、破壊力で、地球の大事なもの、地球そのものが壊滅的となってしまう。。
Hurricane-3.jpg


イメージをClick すると公式ページにジャンプします。
是非、生のもっといろいろある映像を見てください。
An Inconvenient Truthのサイトは、不思議な音楽が耳に残るかも。

昨年、オランダのArtist カミールを中心として、雪祭りに作りたいもののワークショップがありましたが、カミールは氷山と、絶滅した、あるいは、絶滅しかけている動物を作ることなどを提案していました。今年の雪祭りのようではなく、もっと迫力のあるものを。。カミールのideaの中に、この映画に共通する何かがありました。

それより前、昨年の秋に、英国在住のオーストラリア人からメールで、この映画を見て!というメールが来ていました。
昨年、米国とオーストラリアは京都議定書を批准しませんでしたが、オーストラリア市民レベルでは環境に熱心の人も多いようです。リサイクルなども。

スーパーが買い物袋持参を提唱し、(通常のプラスティックの買い物袋はお金が取られる。)下記のバックは有名だそうです。
今日、そのオーストラリアの友人から送られてきました!
Go_Green1.jpg

私もこれからは これを持って外出します!
これを持っていたら、私です。(^−^)


さらに、この試みはスコットランドにも渡りGo Green Bags というサイトもできたようですが、残念ながらスコットランドでは持っている人見なかったなぁ。。


見るといろいろなことが考えさせられます。

Remember....Reduce Reuse Recycle
タグ:al gore
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2007年02月10日

空気感は写真に現れる?

Sapporo-station.jpg


札幌でめったに写真を撮らない、皆無に近い?私が撮った一枚。
札幌駅。
仙台の方が「ひんやりした空気も伝わってきます。」とのコメント。
空気感は見えないけど、被写体の重要な要素。見えないものが表現されるって面白い。
あれ?
見えているのかな? 昔ほぼ毎日盤渓にスキーを習いに行っていた頃、帰りに見える札幌の夜景は宝石のようだった。寒いと、発光が美しいから。。
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2007年01月27日

遠近

遠近 (日本語)
wochi kochi (English)

wochi-kochi.jpg

初めて読んだとき、「遠近」はまるで私の脳にある考え事が、きちんと言葉になっている雑誌で、なんだか心強い友人が近くにいる感じがした。いろんな国の人と触れ合うと、いろんな考えがあり、その都度、頭の柔軟体操があり、幅広い思考の幅があり、枠はないと感じる。

私が旅中、留学中に感じたことは‘文化&気づいたこと’で、食事しながら友達に話すように書いている。
でも、時間の関係で、統計を調べたり、もっと他の国の人々に考えを調査するような掘り下げも、いろんな見方を考慮して書くのは難しい。あくまで主観的である。

一方、「遠近」では、専門の方がより論理的にわかりやすく話したり、正確な数字も載っている。

国際化に関心があり、なかなか海外で住めない人には楽しい雑誌。

A=Aと思っている方も、人の話を鵜呑みにしやすい方も、変な英語の使用をカッコいいと勘違いしている方も、頭の体操で読んでほしいなぁ・・

私が学校の英語指導者であれば、この雑誌を使用する。英語を何のために学ぶのか、ということを考えると、この雑誌は教科書以上である。

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2007年01月21日

ロゴ Web Gravity

ロゴを考えてみた。
web-gravity3.jpg

私のようにネットがないと生活に支障がある人が増えている。
重力のようにそれは強い。

どうWEBの力をビジネスに活用するか、ということのアドバイザーをするつもりのカナダ人からロゴの相談を受けているときに、勝手に自分用に思いついた。
「ブログ」と「進化:evolution」を合わせて、blogolution という言葉を作成した彼女だが、ブログだけではないと最近幅を広げている。
私的に、wevolution(WEBと進化の造語)はどうだろう、と考えていたら、突然上記のアイデアが浮かぶ。

日本人の個人、あるいは家庭でのパソコン保有率は世界一ではないかと思うが、少ない台数でもそれを活用しているのは他国だと思う。
なぜだろう。

センスの良さや、情報の豊富さも、つくづく、海外のサイトを見るとそれを感じる。大学入試の申込みは、英国、カナダ、オーストラリア全部ネットでする。学科の科目、科目の概要も全てHPに記載されている。教授の学歴、職歴も読める。
時にそれは迷路の用でもあるが。。。。
posted by mandelin-coffee at 18:02| Comment(1) | TrackBack(0) | つつ うらうら | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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